『3分間のボーイ・ミーツ・ガール』感想
本はたくさん読みたい。しかし、がっつり読むには時間や精神的余裕がない。
という理由からそれほど読みたくもないショートショートや短編に手を伸ばすことがわりとある。一日一本ずつなら負担にならないのではとか思うわけだが、長編を少しずつ読み進めるのとどう違うのかというと答えられないので実際の効果は疑問だ。もっと読んでおくべき名作傑作がごまんとあるのだからそちらを読むべきではという気もするのだが、「短い話は嫌いじゃないし」と自分を納得させている。
加えて最近は、ラノベなるものをもう少し積極的に読んでみようかなという気持ちでもあったので本作を手に取る。しかしどうしてこう微妙なタイトルばかり感想書くのか。
タイトルどおり、「三分間」と「ボーイ・ミーツ・ガール」がお題となった競作である。全19篇。
ネタバレあります。
『詰め込み教育の弊害と教室の片隅に彼女』日日日
初日日日。俺の中で入間人間と似たカテゴリにあって、どちらも気になっていた(入間人間は最近一冊読んでみた)。アニメ化作品も多い著者だが、ほぼ見ていない。
癖が強いと聞いていたが普通に読める。短編だからキャラが濃くないのだろうか。
「三分毎に記憶がリセットされる」「テストを埋めていくと記憶が回復していく」という記憶喪失の設定が面白い。
『ガチで人生が決まる面接に行ってくる』庵田定夏
まっとうな作品。高校入試の面接で超緊張してたら、同じように待ってる人が自分以上に緊張してて、ちょっとずつ話してるうちに……という。
「面接は三分間の印象で決まる」という話に引っ掛けている。
『三分間の神様』榊一郎
「毎日三分間通話できる」。
「何で勉強なんてしなきゃいけないんだ。役に立たないのに」に対する回答として「役に立つ実感があれば嫌いだった勉強も面白くなるよー」と返している。
まぁ、興味持って勉強できたら幸せだよね。
しかし、本当は現代の女の子であった姫ちゃんは、長篠の戦いの戦術とか聞かされてどう思ってたんだろうね。
「夢の中の私はすごい感動してたけど、べつにたいしたことじゃないよね」てならね?
夢の中の姫が好意を持つのはわかりますが、夢から覚めた姫ちゃんが好意を持ち続けてるのはちょっと微妙に思う。
人のために真摯に頑張ってた奴ではあるから惚れてもいいんだけどさ。
『お湯を注いで』櫂末高彰
カップラーメンにお湯を注ぐと、蓋の上にカップラーメンの妖精が現れる。そんで、「カップラーメンばっか食べちゃダメよ、もっと野菜を摂らなきゃ」とか言ってくる。三分経ってカップ麺ができあがると消える。主人公くんは妖精に会いたいがためにカップラーメンばっか食べる。
「三分間だけ話せる」という作品は多くあったのだが、この作品の三分の必然性は抜群である(五分のカップ麺も出るが)。
カップ麺の妖精が「カップ麺ばっか食べちゃダメ」とか言って主人公の体とか将来とか心配してくれてるのがすごく良い。
短くてかわいくて面白い。気に入りました。
『こっちにおいで、子猫ちゃん』野村美月
『文学少女』シリーズを三巻目で挫折して、作者には苦手意識があるのだが、『ヒカルが地球にいたころ……』というシリーズがAmazon見る限り高評価らしく、ちょい気になる。本作が苦手意識を払拭してくれるかと期待して読んでみたが、不発。この人の書くラノベチックなキャラはいかにもな感じがするというか、「ラノベってこんなもんだろ」的にコマとして動かしてる感じがして苦手かもしれない。「三分早起きする」って話。
『ネオンテトラのジレンマ』綾里けいし
異色のサイコミステリ風。本作だけページいっぱいに文字がぎちぎちに詰め込まれていて、他作品との見た目が違う。敢えての変化球かと思ったが、元々ダーク・ホラーとかそっち系の人らしい。
「電子レンジでシチューを三分間温める」間の会話劇。「壊れてますよー」「歪んでますよー」みたいなもののテンプレって感じで、まぁつまんなかったですね。
『5400万キロメートル彼方のツグミ』庄司卓
「光速で三分間先の距離にいる相手と会話する」SF話。つまり、三光分=5400万キロ。
ベタなんだけど、まっとうに面白かったです。ベタい作品を面白く描けるってのはすごいと思う。
『トキとロボット』羽根川牧人
SF。バッテリーの無くなりかけたロボットと毎日「三分間だけ話せる」。
pixivと提携してコンテストを行い、優秀賞を受賞した人の作品。pixivでも見れる。
面白かった。ロボ子が徐々に嫉妬していく過程が良い。
本作に関してはイラストが優れていたとも思う。いかにもメカメカしいロボの姿と、その彼女と楽しげに話す少年の姿が作品をよりよく補完している。
現在はプロらしい。
『ロイヤルコーポあさひの真実』竹岡葉月
「学校まで三分の距離に住む大学生」の話だが、三分の必然性はほぼ皆無に思われる。が、面白かった。
この、大学を舞台にしながら大学の中だけで話が終わらないところが良い。なんというか、世界が少しだけ広がる感じが好きなのかもしれない。実にすばらしい。
『杉宮遥は男前っ!』新木伸
『GJ部』の新木先生。ひそかに期待してたのだが……。
- 「出会って別れるまで三分間」の必然性がない。
- キャラの喋り方が『GJ部』の紫音さんとまったく同じ。キャラのオンリーワン性が減るので寂しい。
- 男として学校行くってかなり無理あるだろう。法律的にも無理あるし、バレてないという点でも無理ある。
- 主人公くんが鈍感勘違い男で気付かないのは良いとして、クラスメイトの女子も気付いてないってことだよね? だとすると主人公くんが鈍感である意味は……?
- 家出で同居もかなり無理があるだろー。
みたいな。シリーズもののキャラなのかと思ったけど不明。
つらいきついというよりは残念だった。
『call』佐々原史緒
「電話をかけられる時間が三分」。
淡い恋みたいな雰囲気。
住所まで書いた名刺渡すのもよっぽどなのだが、主人公くんが気付いてないのが良い。でも確信は持てないから「鈍感キャラ」ほどではない。この鈍感は正義。
そしてそれに続く、「偶然近くに来てるんだよ」と言うためだけに想定外の苦労をしてるというシチュエーションが面白い。ニヤニヤしそうになる。
この後、彼女がすごく喜ぶ姿を見たかったが、見せずに終わっているのが憎らしい。
『彼女に関する傾向と対策』田尾典丈
「三分間の面接」。
愛の告白を入社面接風に扱ったやり取りが面白い。
『三分間のボーイ・ミーツ・ガール』は恋愛と面接を誤解させるやり方だが、それよりは気が利いている。
『三分間のボーイ・ミーツ・ガール』井上堅二
なんか捻ってきてるんだけど、どうもなぁ、う〜んって感じだな。
この、すべてを無かったことにする終わり方ってのがまず好きじゃないし、楽屋落ち自体もちょっと寒いものがあるし……。
この本は明かに企画モノで、ある意味「お遊び」で、それゆえ本気で書いてる先生は何人いるんだってレベルだと思うけど、これはあまりにもやる気が感じられないよな。
どうにも素人くさいというか、どっかの賞の一次落ち二次落ちくらいの「書いた本人だけが楽しんでる」作品を読んでる感じがする。
ネタバレ前提の感想だけど、何が「三分」で「ボーイ・ミーツ・ガール」なのかは伏せておく。
- 全体的にやる気とか熱といったものはあまり感じられない。肩の力を抜いて書いてる感じ。「三分で考えた」んじゃね? って作品もわりとある。
- ラノベらしいノベノベしたキャラが登場するものの、ショート・ショートの長さだとキャラを立てるのが難しそうである。単なるアニメ・マンガチックなキャラにしかなっておらず、これで「萌える」とかは基本ない。
- 面白かった作品は、『お湯を注いで』『トキとロボット』『ロイヤルコーポあさひの真実』。
- 次点。印象に残ったり、読んで損しないかなという作品は『詰め込み教育〜』『ガチで人生が決まる面接〜』『三分間の神様』『5400万キロメートル〜』『QとK』『call』『彼女に関する傾向と対策』あたりか。
- 何が気に入ったかってのは、人によってけっこうバラけそうではある。
- 「三分間」の必然性を持った作品が本当に少ない。「一〜二分」でも「三〜四分」でも成立するじゃんって作品ばかり。こうしたお題がある場合、やはり必然性を伴った作品に対し芸術点として高い評価を与えるべきだろう。
- その意味においてもやはり白眉は『お湯を注いで』だ。しかし「三分」であることに納得を持たせるやり方ってあまりない気がするな。
2014年01〜03月期アニメ感想 4 『のうりん』/『キルラキル』
作者の一作目である『らじかるエレメンツ』読んで、こんなパロネタ多いとアニメ化できないんじゃないかとか思ってたけどぜんぜん大丈夫だった。でもパロネタは評価が分かれる部分だよね。おまけに時期的に『銀の匙』と比較されがちだったと思うだけどどうだったんだろう。方向性は違うと思うが。
ギャグとシリアスがすげーテンポよくまとまってて、わりと幸福なアニメ化だったんじゃないでしょうか。原作未読の人は本命『銀の匙』に大きく水をあけられると思っていたと思うんだけど大方の予想を裏切って真面目に農業してたしね。原作のあとがきによると、ちゃんと農業高校に取材に行って、色々勉強した上で真摯に書いているらしいのでちゃんと評価されてほしいし、していい出来だったと思います。『銀の匙』の方は原作者が本職だったからね。稀有な経験は情報発信できる側になると金になるね。いや『銀の匙』との比較はいい。
ギャグは特別本作に限ったことじゃないんだろうけど、やっぱ『はがない』『俺妹』みたいに、「ここまで来たかー」「ここまでやるかー」て感じ。女体盛りがどうとか、携帯電話じゃないバイブがどうとか、アニメでやっていいんだぁってなる。
ラノベってホースの先を絞って水の勢いを強くするように特定年齢層に対してのみのアピールを強くした作風じゃないですか。そういう意味で「18禁」ではないにしても「一般向け」でもない。だから主流になった今もどっかしら異質な部分は残ってるのは当然なのかもしれない。昔の主流作品はラノベじゃなかったから、やっぱ普通に一線守ってる感じがあったというか、ここまで際どくはなかったよなぁ。
でも下ネタが過剰になっただけと言えばそれだけの話で、貞操観念なく付き合いまくったりやりまくったりしてるわけじゃないからそういう意味では少年誌的なラインは越えてない。今も守られてる一線はあると言えるか。そりゃそうだよな。そこ越えたら青年誌だもん。
あとやっぱ単なる青春学園ものではなく、農業というものをテーマにしてると、現実的な問題にも踏み込んでいくわけで、軽々しく書けなくはなるだろうけど深みはでるよなーてとこか。農業は現状も未来も決して明るいものじゃないみたいだけど、そういうのをこうした作品を通して学べるのはホント良いなと思います。ギャグ・萌えに加えて知的好奇心を満たしてくれるって支柱があるのはでかいし、強みだよな。
- ラノベって一冊(250〜300p)をアニメ3〜4話で消化するのが一般的だと思うんだけど、5話か6話あたりは原作では30Pくらいしかないところを一話かけて消費してて、すげーってなった。四天王だかお祭りあたり。
- 前も言ったように俺はSDキャラ化するのあんま好きじゃないんだけど、横から解説入れる時にSDキャラが出てくる分にはあんま気にならないし、いい使い方だったかも。
- みのりが嫌われてるらしいけど、ぜんぜん嫌うことないと思うんだよなー。現れたライバルと戦おうと思ったらあんな風にもなるだろうし、そもそもみのりは耕作の恋のために気を利かせて手紙書くとか、これ以上ないくらい塩送ってるわけだし。真正面から頑張って戦ってるのに当の耕作からはけっこうひどい扱いされてるわけだし、そんなに嫌うほどか?
- 対して、可愛面白い先生だと思ってたベッキーの扱いがひどすぎて悲しくなったという意見には「ご愁傷さまです」と言いたい。
- ベッキーがアラサーじゃなくアラフォーって設定は絶妙だよなぁ。『やはり俺の青春ラブコメ〜』の平塚先生とかはいかにもって感じで、ベッキー見ちゃうともうぬるいよね。いや、わかるよ。売れ線狙いウケ狙いで中二病枠の材木座を配置したように、年上好き枠用の萌えキャラとして安定の女教師を配置、しかも定番の「美人なのにモテない」設定。わかるよ。だからこそそこから一歩踏み越えたベッキーはなんかすごい魅力的なキャラですよね。なんかもう、「モテない」とか「結婚したい」とかの焦りや痛々しさがリアルに感じられるもんなぁ。アラサーだと「うざ!」「あざといっ!」「まだいけるだろ」ってなる。
- 林檎は都会の象徴なんだろうけど、あんま都会関係ない感じだな。対立してなくてただの外の人間、驚き役にしかなってない。いいけどね。
- あ、好きなキャラはマネー金上で。今更だけど、いちおう好きなキャラは書いていこうという方針で感想書いてる。
- 原作読んでもいいけど、二期待ってもいい。昔はアニメが終わったら原作買うって流れが主流だったんだろうけど今は原作買わずに二期待ちってケースも増えてそう。
いやはやー、熱い! 楽しい! 面白い! シンプル! イズ! ベスト!! って感じ。なんかもう、今期一番面白かったレベルだと思うけど言うことないな。やっぱ2クールだと大作感あるというか、目立つね。存在感がある。それだけで話題になれる。それでいて面白ければなおさらよ。
本作の演出って、キャラの名前が出る文字演出・カメラの映像が妙に古い二色のやつ・生命繊維(?)が光る演出……と大きく三つあると思ってんだけど、あの生命繊維がキラキラキラッて光る演出(SE込み)がズルいくらい格好良すぎるんだけど、何アレ何アレ。格好良すぎだろ。
あと文字演出ね。俺は細田守の『デジモン』『サマーウォーズ』などに見られる「みんなで力を合わせる」展開が好きなんだけど、本作もハムスターみたいに走ってエネルギー充填するシーンでこれまで出てきた各部の部長たちが総出演するじゃないですか。あそこで文字演出がされてるがゆえに「みんなが集まってる感」がすげー出てて、さらに「みんないるよ!」ってセリフがあって、「うぉおおおぉおお!」ってなった。いいなぁ。あそこは良かった。熱い。あくまでサポート的役割に留まった活躍というのも絶妙。
やっぱ「勢いで納得させる。勢いでぶっちぎる」「面白い方向へ舵を切る」を徹底した極致のような作品だと思う。展開にたいして理屈で折り合いをつけようとしたりして色々考えてるうちに面白さの勘所が見えなくなり、外してしまう作品というのは世にたくさんあると思うので、「どうしたら一番面白くなるのか。熱くなるのか」をちゃんと第一に考えている本作は良い教科書だと思うんだよね。「何を一番大事にしてるか」がわかりやすい作品は結構あるけど、本作が大事にしてたのは明らかにそういうとこだった。
もっと言うと、「なんだかよくわからないものが集まったら強い」だとかその辺のテーマ的なものすらあってないようなものだった気もする。龍子闇堕ち時の鮮血との会話とか、服がどうこうとか、セリフで主張してる部分の方は大して面白くないし、無視していいんじゃないかと思うくらいだ(暴論)。あれって正義側と悪側をそれらしく描き分ける意味合いくらいしかなかったんじゃね? くらいにしか思ってない。
そしてそういった、「見て楽しい! ……けど後に残るものがない」後味スッキリ作品な上に綺麗に終わったので、忘れられるのが早そうな作品である。後々語られる機会がなさそうというか……。
- 流子闇堕ちあたりの展開は微妙な感じはあったね。あそこは龍子に感情移入できないとこだからなぁ。主人公を闇堕ちさせる作劇は感情移入対象がいなくなるという意味で危ないのかもしれませんね。
- じじいの紅茶に少しずつ盛られた毒の効果がいつ出るのかとドキドキしてたんだけど、まったくそんなことはなかったね。でもあの見せ方だと絶対そう思うよな。あれ完全に伏線の描き方だったぞ。わざとか?
- 微妙に一抹の不安が残るエンドというか、龍子が人間ではないという問題が解決されてないというか。ちゃんと寿命で死ねるんですかね。寿命ですら「死ねない体」だったらちょっと可哀想なんだけど……。
- 大気圏から落ちてくる龍子を受け止めなくても死なねーんじゃねーのってちょっと思っちゃいましたよね。むしろ受け止める側のが危険な気もするし。
- 猿投山がラストバトルで目を開くとことかさー。金男が船見送るところとかさー。良いよなー。熱いわー。
- 龍子は可愛いなぁ。最初に鮮血纏ったときに、恥ずかしそうに顔赤くしてたとこでこう……ぐっときた。男勝りながら可愛いところもあって、良いヒロインだったと思います。
- テニス部部長も微妙に好きである。
- この期は『ズヴィズダー』もやってたこともあって、キャラが本当に際どいレベルで露出することに対しての感覚が麻痺してた感ある。
2014年01〜03月期アニメ感想 3 『ディーふらぐ!』/『お姉ちゃんが来た』/『鬼灯の冷徹』
一番気になったのが話のグダり方なんだけど、これ、あんまりにも話進まずに執拗にギャグ入れすぎてるからなんだろうきっと。
お笑いの漫才やコントで、ストーリーライン(目的)は提示されてるのにボケまくられることによって話が進まないイライラと同じものを感じる。もちろん、向こうは笑わせるのが目的だし、こっちも笑いたいわけだけど、あんまりにも同じシチュエーションで引っ張られると話進まな過ぎて妙なフラストレーション溜まる。そのシチュエーション内で考えたボケ全部入れたいって欲の結果なんだろうけど、そういうのは本当に一つ一つのネタが面白くないときつい。
それに加え本作の場合は「ここ見せたい!」「この台詞言わせたい!」みたいなポイントが多かったんだよなたぶん。だからそのやりたいシーン全部消化したり、その台詞へいくための繋ぎのシーンがテンポを悪くしてたんだろう。
いやマジで、すごいテンポ悪い作品だったよなぁと思う。最終バトルとか特にとんでもなかった。上記の理由以外の原因もありそう。
とにかく一回見てほしいくらいのグダりっぷりとテンポの悪さだったのだけど……単純にギャグがつまらなかったのか?
こんなこと言ってるけど、べつに憎んでるとか嫌いとかじゃないです。一応全部見れたわけだし。つまらないと言えばつまらないとも言えるけど、そんな苦痛でもなかったし。
あと、結局この作品の正義って高尾と船堀だと思うんだけど、萌えでもラブコメでもないギャグ作品でそこ目当てに見ちゃうってのもちょっと不純でしょーもない気がするね。逆に作者は安易にラブコメ化せず、ギャグで勝負してほしいかも。たしかに高尾船堀は鉄板だけど、ギャグが面白ければ問題ないはずだ。
最後に良いところを。
「色んな痛い奴がいるけどみんな存在を肯定されている」ところが本作の美点だと思う。この手の作品を好きって人はギャグ以上にそういうとこが好きなんだろうし、こういう学校行きたいんだろうなぁ。本作見てるとつくづくツッコミって愛だよなぁって思いますよね。風間くんは優しい。俺だったら「なんだコイツ」ってなる。
- 本作はどう考えても「モブキャラ」の定義を間違えてるよね。セリフが与えられてる時点でモブとは言わないよね。名前まであるのにモブ扱いされてた奴もいた気がするし。「この人達は"モブ"です」って、モブじゃねーし。
- 漫画でも漫才でもこれ言っとけばうけるだろ的な流行りのワードがあって、ちょっと前だと「強気攻め・誘い受け」「FX(溶かす)」。「モブ」ってのも前から存在はしてたけどわりとここ最近一般に浸透してきて、流行りと引き換えに用法誤られだした感ある言葉だよなぁ。それまで専門用語だったものが何かの拍子に広まって、通ぶりたい人達が用法誤ってるのに強引に使い続けて流行るって流れかな。ああ、あと最近だと「乳袋」だ。言いたいだけだろってのが多い気がする。
- 風間君の友人の播磨拳児もどきと、チビの活躍を見たかったんだけど、部活中心にイベント組まれたら見せ場ないよな。
- 稲田堤、妙に気に入ったとこあったんだけどそんなに出なかったね。
- 細かいことなんだけど、船堀が頭にかぶった皮製の鞄と、ポリエステル製の大きい鞄と、どう使い分けられてんだろ。鞄二種類あるのおかしくない?
- 王様ゲームの割り箸を折るシーン。あれ、相手が抑えてないと折れない上に、どちらか一方しか折れないと思うんだけど……ちょっとよくわかんなかったな。
- ギャグ漫画にありがちな、ボケ役が異次元級のボケかまし過ぎててただの気違いっていう……。
ようやくきたね、「姉」。
「姉」は隙間産業だよ! 狙い目だよ! 本作とか『姉ログ(週刊少年マガジン)』とかに続いて行こうぜっ! とか思うんだけど、アレかな。年上趣味は「姉」「母」「人妻」あたりにばらけちゃったりしてる感じなのかな? 「妹」にない互換性が「姉」にはあるってことなのかな?
さておき本作。前に書いた『マイナー漫画作品』という記事である作品と似てるとか言ってたんだけど、その作品と本作の最大の違いは義理の姉であることなんだよな。一口に「姉萌え」作品と言っても色々ある。本作は、姉がベタ惚れで弟がしっかりしてるパターン。
っつっても、変な姉自体にはべつに萌えるところはない。姉が弟に大好き大好きって言ってそれが報われたときになんかちょっと満たされるものがあるという、関係性の萌えだ。姉妹じゃないけどニャル子&真尋タイプ。
こういう作品だと、まともな弟くんがぐいぐい迫ってくる変態の姉を「拒絶する」パターンてあると思うんだけど、そんな強くは拒絶してはいなかったんだよね。そこが良かったなぁって思うんです。姉だろうと何だろうと、「大好き!」って言われてるのに強く拒絶しちゃうのって感情移入できないよね。すごい良いことじゃんて思う。
弟くんが惚れてるクラスメイトの女子とか、姉の友人の弟とかはわりとどうでもいい。何かしらの人間関係がないと話にならないという都合はあるだろうけど、特別姉萌えにはつながってないからなぁ。
あとさぁ*1、姉で思い出したんだけど、俺、『帰宅部活動記録(まだ感想書いてない)』の、主人公姉弟の絡みけっこう好きだったんだよなぁ。実はアレが最近の姉弟描写で一番良かった作品かもしれない。
- 「父親が再婚して、変な姉ができました」ってキャッチーな一言設定説明はすごい優秀ですよね。
『ゆゆ式』『ディーふらぐ』同様、見てるうちに慣れてきて、気分によっては進んで見るようになるのだが、作品の尖鋭性に慣れているのか、つまらなさに慣れているのかが不明。
雑学要素がありけっこう面白いのだが、本人そのものが目の前にいるために挿入がごくごく自然な流れになっているうえ、これ以上ない必然性が伴われているのがスゴイ。というか、「あの世」という設定の一点突破で死者やら妖怪やら神様やら昔話の主人公やらなんでもかんでも出してるのはズルいくらい強引だ。
死者と妖怪が出るまではわかる。神様まではまだいい。桃太郎とか一寸法師あたりは「ちょっと待て」って本来なるとこなんだけど、コイツ(桃太郎)視聴者がまだよく把握しきれてない一話目に登場して押しかけ女房的にレギュラーの座確保しやがってるんだよなー。なんなん?
本作については以前『新型日常系のジレンマ』の記事で触れたように、1-2話でひたすらダベってるだけなのが特徴的で面白かったのだが、まぁそのくらいか。あんま言うことないかな。あ、最近では珍しく二話構成だったな。
あと、実際がどうなのかは知らんけど、すげー女子ウケしそうだなーてのは感じたし、作者が女性というのもすげーわかる。「腐」とは思わないけど、キャラクターがすげーオタク女子っぽい。鬼灯や白澤はもちろん、茄子やシロなど、色んなキャラクターから女子臭を感じる。なんだろうなーコレ。特にこの作者がどうこうではないんだろうけどさ。なんか作品の端々から「女子だなー」ってのが感じられて、それが面白かったかも。「どこ」が「そう」なのかハッキリさせられたら気持ち良いんだろうけど……ホントなんだろうなー。
でもやっぱ鬼灯のキャラはある種のあざとさというか、欲望剥き出し感が感じられて「う〜ん……なるほどね」ってなりましたね。女子も『ハルヒ』とか見て、「う〜ん……なるほどね」って思ってたんでしょうね。
- 鬼灯ってけっこうロクでもないよな。白澤のまともさが際立つ。
*1:急に馴れ馴れしいパターン
2014年01〜03月期アニメ感想 2 『咲-Saki-全国編』/『世界征服〜謀略のズヴィズダー〜』/『ドキドキプリキュア』
この作品、あらためて歪な作品だなぁって思う。とにかく変なところがあり過ぎて、これだけ変なのはこの作品がオリジナリティに溢れすぎてる証拠だなぁって感じるくらい。
あと妙にフォーマットが整ってる作品。構成が単純と言うか。
『ひぐらしのなく頃に』で、作者が「この作品はルールさえわかれば誰でも二次創作でオリジナルの○○編が作れるんですよ」と言ってたけど、ちょっと自由度が高すぎるし大変そうなので原作そっくりレベルのコピーはできそうにない。でも本作は作れそうな気がする。そのくらいフォーマットが整っている。『絶望先生』まではいかないけど整っている。様式美。
簡単な『咲-saki-』の作り方
01.キャラクターを考える(5人*チーム数)
02.一人ずつ活躍させ、全員に見せ場を作る。
03.その際、回想を挟み、キャラを立てる。
04.点数は適当に調整する。
05.2〜4を繰り返す。
で、二位でも通過できるし、負けても個人戦もあるというのは、わりとキャラを救いすぎてるというか、チーム戦をかなりどうでもよくしてる感あるよな。いや、本人たちにすればチーム戦の方が大事かもしれないし、負けたら十分悲しいだろうけど。
これ、巫女とか姉帯とか顕著だったけど、全力出しきらずに負けさせることが可能になってんだよね。そのぶん団体戦の盛り上がりがなくなってんじゃないかって気もするなー。でもやっぱ立ってるキャラが個人戦でも見れるのは嬉しい。
そしてあらためて、この人のキャラを創造する力というのは凄いなーと。ありきたりな記号の組み合わせだけではないんだよな。いや、記号感はあるけど組み合わせの妙なのか、単純に○○キャラって区分できないとこある。ちゃんと自分で考えてる感じがあるし、何よりデザイン込みでこんだけ大量に作ってるのはすごい。↑で「キャラクターを考える」とか簡単に書いたけどそんな簡単な話じゃないよ。むずいだろ。でも「キャラもの」である部分はでかいと思うので逆に言えば良いキャラ作れたら上手くいくのかもしれない。
でもやっぱキャラによってはほとんど一つの表情しか描かれないところもあって、(多人数描かなきゃいけないからってのもあるだろうけど)、深みはないよな。そんなに掘り下げられない。
- 能力で勝つときの演出がすごすぎて、すべてが満貫跳満役満クラスじゃなきゃふさわしくない気になるんだけど、意外と現実的に安い手だったりするよね。
- ぜんぜん話すすまねー!
- 和って『テニプリ』の幸村みたいな能力キャンセラーってわけではないのかね。「一巡先など見えたりしない……!」みたいな。
- 今回の主要キャラでの白眉はやはり姉帯さんか。197cmの高身長! 魔の眷属か何かかと思わせる印象的な赤い瞳と下まつ毛! 日本人より外国人に近い「フェイフェイダヨー」的な喋り方! 「六曜」をモチーフにした多様な能力! 立ってるわー! コイツマジキャラ立ってるわー!
- キャラの横向き時の絵を胸大きい順に並べた一覧をそろそろみたい。
- チームに一人はメガネキャラいる気がするな。悪くない! けっして悪くないぞ……!!
ウド川以外すべてが紛争地域という事実を伏せたまま進行せねばならない都合もあいまってか、ストーリーラインをハッキリさせず、謎を振り撒きながら進行する作品だった。一応、キャラデザが黒星紅白先生ということだったので、メチャクチャきつい話にはならず、萌え豚歓喜系の日常寄り作品になるのではという予想はあったけど*1、現代ものっぽく見えていて世界観が普通じゃない感じもあったし、どうなるのか全然わからなかった。
こういう、独自の世界観を考えられて、よくわからない作品を作れる人ってすごいなぁとか思ってた。新しさを感じる作品だった。
……わけだけど、やっぱ謎をみて考察してっていう楽しみ方に重きを置いて見てた人にとっては残念だったのかなと思わざるを得ない。いろいろと伏線投げっぱなしだったよね、第一話プロローグ(アバン)の状況とかよくわかんないしなぁ。
伏線回収しないからダメとか、謎が謎のままだからダメ、みたいなことは言いたくないんだけど、謎のままでいいものと、よくないものはあると思うんだよね。設定だけはあるけど、説明する尺がないから説明しないとかはいいと思うし、むしろちゃんと設定があるのなら、ちゃんと解説しない方が良いってこともあると思う。
でもせめてストーリーの主軸にかかわる事柄……「『征服』とはなにか」「『ズヴィズダー』とは何か」みたいなとこは描いてほしかった。そうでなければあまりにつかみどころがなく、雰囲気アニメに偏ってしまう。もちろんそれが狙いという可能性だってあるけど。
キーワードの『征服』をどう捉えるか、が一つのポイントになるだろうとか考えてた。
この幼女が『征服』という言葉を拡大解釈で使っていて、本来の意味とはちょっと違うことになっているというのはすぐに分かる。嫌いなものが食べられるようになったり、できなかった鉄棒ができるようになったりするのは本来『征服』ではなく『克服』だ。で、世界中の人に会って、その人達の鬱屈を救うようなことを指して『征服』なんだろう。少なくとも悪い意味で言っているわけではないんだろう。みたいなことを考えはしたけれど、こういうところをハッキリ明かして、カタルシスを与えてくれたらもっと良かったかなと思うんだよな。
もちろん『世界征服』=『世界平和』なのだろうことはなんとなく察せられるし、ヴィニエイラ様の目的「世界中の人間に会いに行く」というのも、人類が皆知り合いで兄弟で仲間になれれば世界平和を実現できるという考えなんだろう。『嘘つきアーニャの真っ赤な真実』というノンフィクション本があって、その舞台は50以上もの国の子どもが集まる学校なんだけど、それを読んでいたら、もし世界平和を可能にするなら必要なのはその視点の「広さ」だろうと思えてくる。だから人の輪を広げたり人種をごちゃまぜにしたりして「国>個人」を「国<個人」のようにしていくことはきっと正しいことなのだろう。なのでケイトの主張だけ見たらまんざら悪くないとは思うのだが、べつにそんなに世界平和に向けて奔走してる感じもなかったよね。
良いところはやっぱ、世界観。「クルクル」なんてマスコットにもなってるし、カラフルだし、すげぇ画面が映えるじゃないですか。ああいうの、良いなぁって思うんだよね。いややっぱ画面が映えるって大事だなぁ。
あと最終回。謎や伏線が明かされずじまいという点を除けば、細かい部分を伏線的に回収したり(一話で征服した戦車隊再登場、最終決戦用自販機でUDOエネルギー補給、自転車、逆上がりなど)ってあたりは好き。何より、「免許は?」つって色ぼけた年代物の自作みたいな紙切れだしてくるとことか、店の主人が顔も声も出さずガレージ越しに無言で肉まんとあんまん出してくるあたりのセンスとテンポの良さね。こういう個性的な部分を感じられるところが好きなんだけど、この作品はそういう、良い意味で変なとこ多くて楽しかったなぁ。
そんなわけで本作を一言でいうとズバリ、「ミクロは良かったけどマクロがダメだった作品」だろう。ミクロ寄りでセンス系というとちょっと『ウィッチクラフトワークス』と似てるか? 俺としては好きという意見も残念だったというどっちの意見も分かる作品だったな。いや、でも俺はこういうぬるい方が好みなんでストレスなく見れたし、二期もあったら見ると思うし、どっちかというと好きだった側かな。
- 観測範囲で、「ズヴィズダーの光をあまねく世界に!」が流行っていたので、ああ、こういう特殊な挨拶ゼリフや決めゼリフ的なの結構だいじなんだなって思った。『いなり、こんこん、恋いろは』の「いなり、こんこん」とかもそうだけど、作品中でギャグ的に作られたものでも繰り返しやってると馴染んでくるし、本作もたぶん、ライブイベントみたいなのあったらこの台詞で盛り上がったりするんだろうなぁ。他にも、『のんのんびより』の「にゃんぱすー」とか『ラブライブ!』の「にっこにっこにー!」とか。数え上げたらきりがないか。
- 黒星先生はモバマスをやっていて杏が好きであるという情報を知っていると、ケイトはもうどう見ても杏ルーツにしか見えなくなる。
- 『わんおふ』の前園利絵も『ハトプリ』の来海えりかだよねーと思ってる。
- 吾郎と香織(ホワイトファルコン)の展開急すぎなんだけど……。さすがに?
- 駒鳥ちゃんの耳が赤い設定、あれいるぅ? なんのキャラ付けになってたの?
それにしても本作は全員優等生だよなぁ。天然ぽいキャラもいたけど、ドジっ娘とかいなかったもんなぁ。全員ツンデレだった『スイプリ』といい、テーマ性を感じるが、実際のところテーマ何だったの? て言うと「やっぱり愛だよね!」的な話になるわけで、優等生がどうとかあんま関係ない。
わがまま言っちゃうと、シリーズごとに主人公および仲間の性格、敵キャラの特徴や目的が違うのであれば、「その主人公たちでなければ解決できない」話or「その主人公たちならではの解決」になっていてほしいんだよね。でもプリキュアって基本全員愛の戦士だから、『スイプリ』メンツでも『ハートキャッチ』メンツでもキングジコチューは倒せそうだし、展開もそう変わらなさそう。
で、自己中な奴に対して、他人のために頑張る生徒会長マナがいたんだろうけど、「なんで他人のために頑張るのか」「なんで他人のために頑張れるのか」「自分のことばかり考えているとどうなるのか」みたいなのをしっかり扱ってほしかったなぁ。
そんなわけで他のいくつかの作品同様、本作も気に入ってたのはミクロ部分だったのかな。キャラは敵キャラも込みで見てて楽しかったし。
あと、初期のプリキュアってそんなでもなかった印象なんだけど最近は怪物キャラや戦闘シーンもユニークになってる。『ドキプリ』はベールの携帯化&挟んでバイブ攻撃みたいなの面白かったし、近年は競技カルタだのクイズだの野球勝負だの見てて楽しいバトルがあって、なにかと同じことの繰り返しになりがちな番組後半の展開も飽きずに見ていられる。良いこと。それは良いことです。
- これと『スイプリ』のキャラデザの高橋晃さんはすごく良いなぁ。デザインも良いけど作画も良い。「ふぇぇ、高橋作画ぁ……しゅきぃ」てなる。作画精度高過ぎんよ。
- 批判的意見が多かったのではないかと思われる、折り返しからのレジーナ放置&エース登場展開だけど、『サガフロンティア2』の偽ギュスターヴ登場みたいで俺は好きだった。「おいおい、レジーナはどうなったんだよ。謎だらけのコイツは一体だれだよ……」ってのは偽ギュスターヴ登場にホント似てる。ああいう、謎を残したまま新たな謎があらわれ、「ますますわけがわからないよぉ!」ってなるも、それが後にたった一つの真実で紐解かれちゃう展開とか超ラブい。
- [140630 追記]そういやレジーナの瞳の色が変わるのってあくまでアニメ的演出であって、実際には認識できないと思ってたから「瞳の色が違ってることに気づけよ」というツッコミはナンセンスだと思っていたのだけど、後になって「瞳の色が〜」とか言い出したのでびびった。何だそれ。
*1:言うて『キノ』はきつい話もあるけど
2014年01〜03月期アニメ感想 1 『ウィッチクラフトワークス』/『いなり、こんこん、恋いろは』/『未確認で進行形』
07〜09月期、10〜12月期の2クール分すっとばしてのアニメ感想。そっちは後回しだ。
やっぱ鉄は熱いうちにというか、早い段階で書かないと書けなくなる。3〜6話分くらい見た段階で書き始めるのが良さそうなんだけど……。
うーん、すごいなー。
一応、メチャクチャすごい力を持っているらしい多華宮君の封印が解けるとか解けないとかの縦軸があり、その力を目当てにした人たちが集まってきてトラブルが起きて……みたいな核はあるんだけど、存外あっさり解決しちゃったり、緊張感がなかったりして、それがメインになってる感じがまったくしない。
まずメデューサが出てきたときに、もっと大変な戦いになるかと思ったのだけどあっさり終了、しかもその後メデューサはかくまわれコメディ要因みたいになっちゃったし、ラストの戦いはそれなりだったが、かざねお母さんは余裕で復活してたし、クロノワールも戦えば楽勝で勝ってたみたいな格付けが(戦闘後にだが)なされていて、良いのか悪いのか『最強の弟子ケンイチ』にも似た妙な安心感がある。悪く言うとドキドキハラハラしない。
方々で言われているだろう何の面白味もない評価をしてしまうと、「本編はそこまで面白くないけど世界観のセンスが圧倒的で見ていて面白い作品」なんだよな。楽しい。
たとえば、素人が陥りがちな創作の罠に、自分で考えた設定を一から十まで披瀝するというのがあり、おそらく漫画や小説の編集者を日夜辟易させているものと思われるけど、本作は説明しないタイプの作品だ。説明をせずに、映像で表現する。
まず、「晴れ時々校舎」であるとか、「バスの行き先が"次は DEADEND"になる」とかのセンスが良い。これはおそらくまったくそうする意味のないものだ。『HUNTER×HUNTER』なら、「相手に宣戦布告しなければならない制約だからそうした」、みたいな理屈が入るところだろうが、そういうのではない。見映えが良いからそうしてるだけだ。「多華宮君が町を救った後エヴァーミリオンの世界から紛れた無数の花びらが街中に舞う」とか「クロノワールの結界(?)内で魚が泳いでる」とかも同じだ。映像に訴えかける見せ方をしていて画面が映えるしユニーク極まりない。なんかこの「画面が映える」って結構大事だなーとか思うわけですよ。
さらに言うと「説明しない」のみならず、「触れない」作品で、家の中で動いてる熊のぬいぐるみとか、たんぽぽちゃんのケモ耳だとか、日野輪冥の犬マフラーとか、多華宮(母)がなぜ家の中でまでOLの制服着てるのかとかを誰も彼もが総スルーする。そのためなんか遊園地にでもいったかのように、あっちにもこっちにも気になるものがある感じになっていてなんとなくワクワクしてしまう。エヴァーミリオンの世界にコミカルなペンギンがいるとか、とにかくセンスが爆発している。
キャラもそれぞれ容姿込みで立ってるし、本当感心するなぁ。すごい。
余談だけどこの辺すごく『K』に似ている。あの作品も過剰な設定を言葉で説明せず映像で語る作品だったし、スクリーンセーバーみたいな壁紙とか、お掃除ロボとか面白いものもあった。
他に、『とある魔術の禁書目録』の鎌池先生と似通ったセンスを持っているのではという気もする*1。でも『禁書』と違うのは語尾口癖に頼ったキャラ作りをしてないところかな。『NARUTO』とかもそうだけど、喋りの語尾(ex.「〜じゃん」)でキャラ付けすると一気にうざくなってしまうからそこは好感持てるんだよなぁ(『禁書』は小説だから台詞で判別つくようにそうしてるというのはあるにせよ)。
で、そこにアニメ化に際しての良作画(3DCG背景と組み合わせるとかも含む)とか、良OP&ED&挿入歌(カラオケシーン)とか良声(たんぽぽちゃんとか)とか良演出(高山vsドンフライの再現とか)のもろもろが上乗せされて、そういうのが好きな人にはすごく楽しいものに仕上がってたように思う。『キルラキル』があるので今期一番面白かったとは言いにくいが、間違いなく新しくはあった。
そうなってくるとやはりストーリーのB級っぽさが気になるのだけど、なんだろうね。設定とか過去話もよくわからないから「ここは本来ならこう組むべき」みたいな話もできないけど、やっぱストーリーとしては面白くはないよね。だから「つまらない」という意見もわかる。しかしここまで演出やギミックで突き抜けてると、「それでもいいか」となってしまう。うぅむ。
あ、ストーリーに関しても一つ言うと、やっぱ多華宮くんは色んなことをスルーしすぎ&話聞かなさすぎって気はするよね。謎のまま話を進めたい作者の都合だろうけど。そういうとこ無理あったよね。
- 勝手に喋ったり音楽が鳴り出したりするサイト作りマジでやめろ。
- 序盤の多華宮くんが苛められるあたりが微妙。異常な綾火age込みでちょっと無理があると感じたし、完全ギャグに振り切ってるでもないし、B級感すごくて辛かった。
- 多華宮(母)イジメの方は、イジメの理由が語られない&演出がコミカル&速攻で解決>「お友達からお願いします!」……で、暗い過去をうまいことギャグで処理した感はあった。
- 多華宮くんはいわゆるヘタレ系主人公で、ちょっと好きではない。同時にヒロイン属性も持ち合わせているが、「ヒロインだからこれでいい」とは思えなかった。
- 多華宮(妹)の造形が妹キャラにありがちなロリロリした感じでなくて良い。
- メデューサ様いいなぁ。人間フォルムのスーツ姿とかエロいし。デザインも秀逸。
- かざねも良いし(巨乳なので)、無表情キャラの虎鉄も良い。おなじく無表情だけど綾火はあまり……。内容みるまで高校生とは思わなくて最初違和感あったな。
- とくに拒否反応はないものの、やっぱキャラクターが装飾過剰気味だとは思う。日野輪冥とか、犬マフラーだけでも良さそうなのに眼帯もあるし、多華宮くんが実妹(?)を「霞ちゃん」って呼ぶとか、かざねの敬語口調とかはちょっと強すぎる気がする。
- 象徴的だと思うんだけど、こんな感じで細部とかキャラばっか語っちゃう作品なんだよなぁ。
- EDのダンスの虎鉄のとこ、すごい好き。「ここ超すき」ってなる。
- 声優陣豪華じゃね?
しかしあれは掴みのみならず、キャラ付けとしてもすごく良かった。なぜならあれが単なるギャグとしてのキャラ付けではなくて、ストーリー上の必然性と密接に結び付いたキャラ付けだからだ。つまり、うか様は「ちゃんとした恋愛」がしたいから架空の恋愛ゲームにハマってしまったという、これ以上ないくらいしっかりした理屈がある。そこが素晴らしい。うか様は可愛いというのは認めた上で、キャラ自体がメチャクチャ立ってるとまでは思わないけど、でもこれが正しいキャラ付けだなぁと思ったね。
逆に兄貴の中二病設定はギャグのためのキャラ付けにしかなってなくて、ちょっとなって感じ。中二っぷりもステロタイプで、こんな奴いねぇよって感じだったしなぁ。中二病キャラって大抵そう。もっと「どうしてそうなったのか」という必然性がほしい。
ちなみに、うか様と乙女ゲーの出会いは本編で描かれていたが、うか様は乙女ゲーにハマる理由はあっても、ゲームにハマる理由はない。にもかかわらず乙女ゲー以外のゲームも嗜むゲーマーになっていたのは、(作者の都合として)兄貴と一緒にゲームで遊ぶシーンが欲しかったからだろう。ちなみのちなみに、兄貴のメイン趣味がゲームでないのは、うか様と遊んでやってる感を演出するためだろう。本編で描かれてたように、ゲームが好きだから一緒にプレイしたんじゃなくて、気になるうか様が一緒にやりたいって言うから付き合ってやってんだよーという具合にしたかったのではないか。ニヤニヤするね。
気になったのは、話としてキレイじゃないような気がしたこと。
まず、変身できる能力があって、いなりの意思とは無関係に発動する神通力があって、神通力がないと会えないうか様と神通力を返さないと消えちゃううか様がいる。
この変身能力は元来の魔法少女的なノリで(戦わない魔法少女ね)、騒動を通して「こういった力を使うのはよろしくないこと」「魔法(神通力)では本当に問題を解決することはできない」的な教訓を得る。
二番目も同じだ。これは、力が使用された時点ですでに「いけないこと」であるのは理解していた。
しかし、神通力を返すとうか様に会えなくなるから返したくない。
結局、うか様の死には替えられず神通力を返すわけだけど、これはうか様が消えちゃうのが嫌だから返すってのが一番の理由なわけで、神通力は持て余すし必要ないと思ったから返すってのが一番の理由ではないよね。
けっして物語文法マンセーではないけれど、文法に沿う作りにするのであれば、「チートは良くないから返す」とか「神通力は便利だけど、うか様の方が大事だから返す」とかのがキレイな気はする。でも俺、すごい難しい注文を言ってるかもしれない。
あと全体的に少女マンガだなぁって感じ。原作者の先生は女性のようだ。海回とか「ラブレター渡して」からの一連の流れってすごい少女マンガ性を感じた。グループに新しい友達入ったけど一人だけ反りが合わなくてあんま喋らない奴いるとか、『やはり俺の青春ラブコメ〜』でも似たようなのあったけど、ちょっとリアルで目新しい。作者的にはクソみたいなキャラは作りたくなかったと思うんだけど、その点ラブレターはけっこうきわどいとこだったなぁ。
それに雑魚神たちはけっこうクソな奴らばっかだったし、わりとドロっとしてる。
そもそも変身して問題解決>一件落着って流れじゃないからそんな気持ち良い作品じゃないよな。
しかし、アニメの方はもう完全に終わった感あるけど、原作ってどうなってんだろう。どっからオリジナルに分岐したのかちょっと気になる。
結局うか様の恋愛問題にはけりがつけられなかったけど、これはあくまでいなりが主役なのと原作未完なのとで仕方ない部分もあるか。
- コンが可愛いですね。そんな凝ったデザインではないんだけど。
- どうしても『かみちゅ!』を連想してしまうな。あっちは「神」になることに決定的な障害とかないし、他の神達も人当り良いんだけど。
- いや、ホント似てる。
で、本作にはそれが二人いるのがすごい。たしかに、『レールガン』の黒子にせよ『銀魂』のさっちゃんにせよ、変態キャラって面白くするのが簡単だしよく動いてくれるし、よほど失敗しなけりゃ良いキャラになってくれるものだと思うけど、下手するとソイツが人気No1になって全部もってっちゃいがちになってしまう。でも本作はそれを超える真白を生み出してるんでその時点でけっこう勝ち確定してるよなぁとか。
そのぶん、主人公カップルが地味なんだけど、白夜の方を(開き直って?)地味キャラとして扱ってるのは正解だったかもしれない。
異種族間恋愛ってたいてい悲劇を予感させるものだけど、その大きな原因って文化の違いや寿命の違いだと思うんです。その点、本作の白夜たちは人間の文化に溶け込んでるし、寿命も変わらないみたいなので障害・問題を感じさせない。テーマ的にはあってないようなもので、それよりはむしろ「無口で何考えてるかわからない」性格の方がクローズアップされてる。結局、ちょっと変わった恋人と仲を深めていくだけの話になってるよなぁ。別記事で「オチをつけてほしい」とか言ったけど、これ設定に対して必然性のある落とし方するのむずいよな。ホント、身体能力スゴイですよくらいのアイデンティティくらいしかない。食う・食われるの歪な関係もないし、『有頂天家族』のタヌキたちより人間やってる。
- 小紅の男口調てちょっとしっくり来ない節あったよなぁ。
- 紅緒は良いキャラなんだけど、ちょっと動きに変化が無さすぎて、後半は伝統芸か懐かしい一発ギャグでも見てる気になった。その他の変態キャラ同様、ワンパターンになりがち。
- これに関しては、真白の動きも変わらないというのも気になった。嫌なのが変わらないとしても、抵抗するのに疲れたようなところを見せるとかあってもよかった気がする。変化が欲しい。
- OPのちょっとあきらめ入ってる感じは好き。
- UMA云々ての、いまいち意図がわからないな。
- 主人公二人の関係性が「付き合ってから」っぽいのはなんか良かったね。しかも家族や友達公認の感じが。
- 紅緒(CV.松井恵理子)の演技、メリハリや遊びがあって良かったですね。
*1:『禁書』も『レールガン』もロクに見てないんですけどね
有栖川有栖『江神二郎の洞察』感想
高い論理性ってやつを手軽に楽しみたかったので期待を寄せて学生アリスの短編集である本作を手に取る。
見れば判るが、『瑠璃荘事件』についてどうしても一言いいたくて書いた。でも『瑠璃荘』が一番面白かったかな。
本の感想を書くなんて久しぶり。ネタバレレビューである。
瑠璃荘事件
――その時も大家さんは日帰り旅行中で、下条さんは郷里に帰ってた。高畑もあいにく友だちと遊びに出てて、ここには二人だけやった。(単行本p25)
……という文。メタ的には「もう一つのトイレ」を匂わせるヒントになっているわけだが、これが不自然だ。
ここで望月が言いたかったのは、この後に続く、「トイレを使ってたら門倉に急かされたが、すぐには出れず、険悪な空気になった」という内容の方であるのだが、いったいなぜ望月はこんな前置きを言ったのか。
この文章からは「二人きりだった」ことを言いたかったように思える。というかそうとしか読めない。読者もそうミスリードされただろう。しかし、「トイレを使ってたら門倉に急かされたが、すぐには出れず、険悪な空気になった」という内容を語るのに「二人きりだった」という前置きは不要だ。なぜ語ったのかという話になる。
おまけにこの場合、望月はもう一つのトイレのことなど意識せず「あいにく」という言葉を使ったことになる。そしてそれなのに、江神さんはそれに反応して「トイレはもう一つある」と推理したことになる。結果的には当たっていたわけだが、まぐれだとしか言えず美しくない。
となると望月は、「トイレは二つあるんだけど、大家も、高畑もいないからもう一つのトイレが使えなかった」という状況説明のために語ったのだろうか。そう考えればこの前置きを言ったのは自然だし、後の展開的にもそうであったように描かれている。しかし、それなら「下条さんは郷里に帰ってた」の一言は不要だ。下条はどうあっても一階の鍵を持っているはずのない人間なのになぜここに出てくるのか。
「下条さんは郷里に帰ってた」。この一言で読者をミスリードさせているのだが、同時にこの一言のせいで望月の発言意図が不明なものになっていて、不自然なセリフになっている。上記の一文はものすごく変なのだ。あとやっぱり「二人だけやった」も必要ない。
先のケースで江神さんの推理が美しくないと言ったが、こちらでも同じことだ。「あいにく大家も高畑もいなかった」ではなく「あいにく二人きりだった」としか読めない文章の言葉尻を捉えて「もう一つのトイレ」を推理するのは美しくない。読者はだまし、探偵だけはだまされないという状況作りのためにこんな叙述トリックを仕掛けたのだろうメタな事情はわかるが、「下条さんは郷里に帰ってた」のセリフがある以上、探偵だって当ててはいけないと思う。
もっとも、この状況で望月の無実を信じるなら、望月のこの前置き台詞がなくとも、「替えの電球の存在」>「もう一つのトイレ」とその存在を考慮することはできるだろうが。
電球を使ったアリバイのアイデア自体は素晴らしい。
しかしながら、切れているとわかっていても一度電気を点けてみて「切れてる」ことを確認してから取り換える人間の俺としては、確認もせず取り換える下条の行動には納得しがたいものがあったから、欲を言えば下条に「せっかちである」とか「無駄なことはしない」とかの性格付けをしておいてほしかった。
やけた線路の上の死体
路線図とか時刻表見ただけで「うへぇ」ってなって思考停止する。もぅマヂ無理。
「謎は、いつも剥き出しの形で転がってるわけやない。何が本当の謎なのかを見極めて抽出してこそ探偵や」
江神さんカッコイイ。前も言ったけど、これこそが本来の日常の謎だったよなぁ。
桜川のオフィーリア
『ハムレット』をモチーフに書いてみた的な一篇。
四分間では短すぎる
『九マイル』オマージュ。『九マイル』系は元ネタの『九マイル』に米澤穂信の『心当たりのある者は』を加え三作品目だが*2、『九マイル』も『心当たり〜』も詳細覚えてない。
覚えてないが、やはりというかセリフのみから純粋に推理するのではなく、あとで情報が出てきていた気がする。『心当たり〜』なら、「たしかあの店で万引きがあったはず〜」みたいな。
やっぱそうやって情報を付加しないことには何らかの結論に至る推理は築けないらしい。たった一つのセリフからのみ推理すると見せかけ後から読者の知らない情報を追加していくわけだから詐欺にも思える。
それはさておき、本作は単なるオマージュというわけではなく、故意にある結論に辿り着くようにしようとしているところにオリジナリティがある。これは一つの面白味だろう。
推論自体は無理があると感じたが、アリスが感動したことには納得がいく。単純に推理を重ねて謎を解いたという場合より納得できるかもしれない。もしただ正解を当てただけなら江神さんだけしか尊敬できず、全員を尊敬する気持ちにはならなかっただろう。そうではなく、「即興でこれをやった心意気に感動したのだ」とするにはドッキリにするしかなかった。「先輩全員に感謝と尊敬の念を抱かせる」という語りたいエピソードにうまく絡めたミステリである。
『点と線』は未読なのでいちおうネタバレ部分は回避しといた。読む予定はないが。
開かずの間の怪
おもしろドア。
ミステリ+ホラーでは三津田信三作品、高田崇史『化けて出る』などがあるが、一度論理的に解決した後、じつは怪異でした。というちゃぶ台返しは「論理的解決なんてありえない」という主張があるのでもない限り面白いものではない。主張がなければただの悪趣味だ。受けが良いはずがない。
その点本作はすべてをひっくり返すのではなく、本筋とは別のごく局所的なところでホラーを演出しているだけに留めているので印象は悪くない。きちんと犯人がわかっているという要因もあるだろう。
二十世紀的誘拐
下で言うけど、ヒントがないね。なくてもわかるかもしれんけど。
除夜を歩く
ミステリ論がメインで、そのための作中作、そのための挑戦状、という作品。いや、作者的には歩かせるのがメインか。
後期クィーン問題についてでも語るのかと思ったら意外と面白い話、見たことない指摘だった。まだ自分の中で噛み砕けてないけど、面白い。
後期クィーン問題とは違うけど似ている。結局ミステリって「論理的解決は幻想」というとこに行きつく。パズルほどには条件を限定できないからだ。
蕩尽に関する一考察
結局夫婦が野放しなのはスッキリしないが、面白くないことはなかった。
が、素直に復讐しろよーと思わなくもない。別の形での復讐なら捕まらない希望が持てる方法もあっただろうし……。捕まる覚悟もあるし、殺す気までないにしては捨て身すぎる。
とか思ったけど、あくまで罪を償う気はあり、「犯人として罪を糾弾されつつ、責任は取らずに済む」方法としてああしようとしたってことか。だったらもっとそこを強調した方が良かった気はする。
問題の人物がレストランで全員に対して驕ろうとする。そしてその中で江神さんが手を上げて全員を代表するような形で質問する。というシチュエーションは妙に気に入った。主役キャラ(特に探偵)が不特定多数の前で目立つシチュエーションってやっぱ華々しさがあるな。
全体の印象は……、
- 女っ気がないのはやっぱ辛い……と、マリアがちらっと出てきただけでテンション上がったさいに自覚する。
- 『読者への挑戦状』こそないものの、一応特定の節前で考えれば解けるような作りにはなっているようだ。
- が、それにしては全体的に憶病。ちょっとヒントを与えなさすぎている。具体的には……、
- 『瑠璃荘事件』は既に述べたあの一文。
- 『やけた線路の上の死体』は、『皺一つない遺書』をキーワードにしてるくせに、『皺一つない』のワードがあまりにもさりげなく一度触れられているだけ。他の登場人物は「皺一つないということは……」みたいな反応一切なし。反応しすぎるとバレバレだから仕方ないにしても、さりげなさすぎる。
- 『二十世紀的誘拐』は、コピーを匂わせるヒントが(多分)まったくない。
- 「裏焼き(反転コピー)」を知らなかったがために完全に正解できなかった人がいたらちょっと可哀想。88年当時のコピー機でできたのかは不明。
- が、それにしては全体的に憶病。ちょっとヒントを与えなさすぎている。具体的には……、
- 根幹のアイデアはどれも良いように思う。
「落とせよ……」って思い始めてきた。
『未確認』については、「最近は日常系が豊穣だなぁ」という感想と、「なんかちょっと物足りないなぁ」という感想を持った。
「癒し」てはくれるんだけど、なんかそれ以上のものがない。これは贅沢な不満であって、作品自体は気に入ってるし、癒してくれるだけで十分な価値を持っているとは思う。
その上での話なんだけど、こう、良くも悪くも代替可能なんだよな。前年の1〜3月期から俺が癒しを求めて視聴した日常系作品で、かつ本作と同系統であると勝手に分類した作品を振り返ると、
13年01〜03月期 『GJ部』『みなみけ ただいま』
13年04〜06月期 『ゆゆ式』
13年07〜09月期 『きんいろモザイク』
13年10〜12月期 『のんのんびより』
14年01〜03月期 『未確認で進行形』
といった作品群が挙げられる。どれも日常系好きならチェックしているだろうと思われるラインナップだ。
で、特に印象に残ってるのが『きんモザ』>『のんのん』>『未確認』の流れ。どれも好きな作品で、終わってしまうのが寂しい気持ちはあったのだけど、すぐにまた良作が現れてその寂しさを補ってくれるというサイクルができていた(『ゆゆ式』はそこまで好きじゃなかった)。 終わるのが寂しいとは言っても、実際にこれら日常系作品が2クールやられていたら退屈していただろうから*1、代替物が寂しさを埋めてくれるのであれば、飽きがきにくい分そっちの方が良いのかもしれない。
でも、一つの作品として見ようとした場合、「それでいいのか?」という気持ちが、『のんのん』>『未確認』という移行を体験したあたりから湧いてきた。
日常系作品というと、癒すのが第一であり、新しさなどに挑戦した野心的な作品は求められていないし、目指されてもいない印象がある。『GJ部』『ゆゆ式』あたりは前の記事で書いたように、挑戦的な作品だったが、やはり例外的だ。それ以外の癖が強くない作品は、容易に他の癒し系日常系作品と交換できてしまう。「なんだかなぁ」と思うわけだ。
もちろん今のアニメ界の流れ的、あるいは商業的には、アニメ化に際しておかしな原作改変を行わず、二期が可能な形で終わらせ、ストックが溜まり次第二期……というやり方が正義なのだろう。原作者もアニメ会社も声優さんなり他の関係者も、色んな人がそっちの方が良いと思ってるのだろうとは思う。
でももっと、傷跡というか爪痕というか、心に残る寂しさなり切なさなりを刻み付けてもいいのではないか、という気持ちが膨らんできた。どこか物足りない気持ちが拭えない。
そしてこの物足りなさは「二期」を見せられることではなく、「作品の終わり」を見せられることでしか埋められないのでは? そうしなければ、その作品がその作品たりえる「何か」を表現できないのではないか? と考えるわけだ。
これは、「シリアスにしろ」と言ってるわけではない。「刺激が欲しけりゃ他のを見ろ」と言われそうだけど、そういうことでもない。「設定に見合った、あるべき終わりが見たい」という欲求だ。
もちろん、その「終わり」は十分予想可能だったり自明だったりはするかもしれないし、原作未完作品でアニメが終わらせてしまうと、原作者は困るかもしれないが、それでもこう……何とかならんかなと思ってしまうわけだ。大抵の日常ものは「時間を進めた」時点で、卒業という終わりに向かってはいるのだけど、そこは必ずしも設定やテーマと密接に結びついてるとは言えないし……。
うぅん、色々言ってるけど、要はキャラクター達が「キャッキャウフフ」してるだけで終わってほしくないってことになるのかな。やっぱり刺激やら深みやらを求めているのは否めないかもしれない。
その点で言うと、今度アニメ化されるらしい『ばらかもん』なんかは、日常系でありながら田舎の過疎化というテーマに触れている節があり、今後の展開に期待してる作品である。
最近は「難民」と言う言葉が流行っている。そのアニメが自身の日常の大きな支え、生活の一部になっていて、寂しさや切なさのあまり来週からどうしたらいいのかわからない空虚な気持ちに支配されているような人達を指しているようだ。「のんのん難民」と言えば『のんのん日和』が終わったことによりこうした状態に陥っているというわけだが、「難民」という言い方は逆説的に「代わりとなる受け入れ先があれば救済可能」であることをも意味しているし、それが可能であることも含んでいる。こうした状況でなければ流行ってない言葉だろう。
避難先、あるいは受け入れ先があることは幸運かもしれないが、とある作品が終わる寂しさを他の代替物で埋めてしまえた時、「俺はこの作品を好きだと思ってたけど、べつにこれじゃなくても良かったんだな」と気付かされることは多少なりともショックなことかもしれない。
自分の場合、そういう意味で『GJ部』に出会えたのは幸福だった。「すごい終わり方をした」なんて作品ではないのだが*2、代替不可能なくらい好きになれたからだ。二期はないのだろうけど、特番はあるらしく、これが本当に嬉しい。
- こんな記事を書いていて気付いたのだけど、最近自分の中で、一期を見た作品の二期を見なくなったケースが増えている。日常系に限った話ではないし、アニメでなくても俺はよくそういうことするけど。「この作品のことはわかったからもういいや」と思うわけである。
- アニメ化特需というのはあるとは思うが、自分としては代替物があることもあり、原作を買いたくなるレベルにまではいかないことがほとんどだ。
- 今のような二期が当たり前の状況はいずれはなくなるんだろうけど、じゃあその後のスタイルってどんな感じになるのだろうというのは予想できない。
- 最近はオリジナルアニメが強く希求されている気がするが、「ちゃんと終わりのあるものを見たい」というのも理由の一つと思われる。
- そう言えば、『スケッチブック 〜full color's〜(2007)』最終話はクソ素晴らしかった。
- そうは言っても作品によってできることとできないことはあるだろうが……。