有栖川有栖『江神二郎の洞察』感想

江神二郎の洞察 (創元クライム・クラブ)
 高い論理性ってやつを手軽に楽しみたかったので期待を寄せて学生アリスの短編集である本作を手に取る。
 見れば判るが、『瑠璃荘事件』についてどうしても一言いいたくて書いた。でも『瑠璃荘』が一番面白かったかな。
 本の感想を書くなんて久しぶり。ネタバレレビューである。

瑠璃荘事件

 本筋において叙述的なミスリードが一つ入っている*1

――その時も大家さんは日帰り旅行中で、下条さんは郷里に帰ってた。高畑もあいにく友だちと遊びに出てて、ここには二人だけやった。(単行本p25)

 ……という文。メタ的には「もう一つのトイレ」を匂わせるヒントになっているわけだが、これが不自然だ。
 ここで望月が言いたかったのは、この後に続く、「トイレを使ってたら門倉に急かされたが、すぐには出れず、険悪な空気になった」という内容の方であるのだが、いったいなぜ望月はこんな前置きを言ったのか。


 この文章からは「二人きりだった」ことを言いたかったように思える。というかそうとしか読めない。読者もそうミスリードされただろう。しかし、「トイレを使ってたら門倉に急かされたが、すぐには出れず、険悪な空気になった」という内容を語るのに「二人きりだった」という前置きは不要だ。なぜ語ったのかという話になる。
 おまけにこの場合、望月はもう一つのトイレのことなど意識せず「あいにく」という言葉を使ったことになる。そしてそれなのに、江神さんはそれに反応して「トイレはもう一つある」と推理したことになる。結果的には当たっていたわけだが、まぐれだとしか言えず美しくない。


 となると望月は、「トイレは二つあるんだけど、大家も、高畑もいないからもう一つのトイレが使えなかった」という状況説明のために語ったのだろうか。そう考えればこの前置きを言ったのは自然だし、後の展開的にもそうであったように描かれている。しかし、それなら「下条さんは郷里に帰ってた」の一言は不要だ。下条はどうあっても一階の鍵を持っているはずのない人間なのになぜここに出てくるのか。
 「下条さんは郷里に帰ってた」。この一言で読者をミスリードさせているのだが、同時にこの一言のせいで望月の発言意図が不明なものになっていて、不自然なセリフになっている。上記の一文はものすごく変なのだ。あとやっぱり「二人だけやった」も必要ない。
 先のケースで江神さんの推理が美しくないと言ったが、こちらでも同じことだ。「あいにく大家も高畑もいなかった」ではなく「あいにく二人きりだった」としか読めない文章の言葉尻を捉えて「もう一つのトイレ」を推理するのは美しくない。読者はだまし、探偵だけはだまされないという状況作りのためにこんな叙述トリックを仕掛けたのだろうメタな事情はわかるが、「下条さんは郷里に帰ってた」のセリフがある以上、探偵だって当ててはいけないと思う。


 もっとも、この状況で望月の無実を信じるなら、望月のこの前置き台詞がなくとも、「替えの電球の存在」>「もう一つのトイレ」とその存在を考慮することはできるだろうが。


 電球を使ったアリバイのアイデア自体は素晴らしい。
 しかしながら、切れているとわかっていても一度電気を点けてみて「切れてる」ことを確認してから取り換える人間の俺としては、確認もせず取り換える下条の行動には納得しがたいものがあったから、欲を言えば下条に「せっかちである」とか「無駄なことはしない」とかの性格付けをしておいてほしかった。

ハードロック・ラバーズ・オンリー

 倉知淳なぎなた』収録の『闇ニ笑フ(反転)』を思い出す。
 読者が自ら信じ、納得したくなるような性善説系の推理。

やけた線路の上の死体

 路線図とか時刻表見ただけで「うへぇ」ってなって思考停止する。もぅマヂ無理。
 「謎は、いつも剥き出しの形で転がってるわけやない。何が本当の謎なのかを見極めて抽出してこそ探偵や」
 江神さんカッコイイ。前も言ったけど、これこそが本来の日常の謎だったよなぁ。

桜川のオフィーリア

 『ハムレット』をモチーフに書いてみた的な一篇。

四分間では短すぎる

 『九マイル』オマージュ。『九マイル』系は元ネタの『九マイル』に米澤穂信の『心当たりのある者は』を加え三作品目だが*2、『九マイル』も『心当たり〜』も詳細覚えてない。
 覚えてないが、やはりというかセリフのみから純粋に推理するのではなく、あとで情報が出てきていた気がする。『心当たり〜』なら、「たしかあの店で万引きがあったはず〜」みたいな。
 やっぱそうやって情報を付加しないことには何らかの結論に至る推理は築けないらしい。たった一つのセリフからのみ推理すると見せかけ後から読者の知らない情報を追加していくわけだから詐欺にも思える。


 それはさておき、本作は単なるオマージュというわけではなく、故意にある結論に辿り着くようにしようとしているところにオリジナリティがある。これは一つの面白味だろう。
 推論自体は無理があると感じたが、アリスが感動したことには納得がいく。単純に推理を重ねて謎を解いたという場合より納得できるかもしれない。もしただ正解を当てただけなら江神さんだけしか尊敬できず、全員を尊敬する気持ちにはならなかっただろう。そうではなく、「即興でこれをやった心意気に感動したのだ」とするにはドッキリにするしかなかった。「先輩全員に感謝と尊敬の念を抱かせる」という語りたいエピソードにうまく絡めたミステリである。
 『点と線』は未読なのでいちおうネタバレ部分は回避しといた。読む予定はないが。

開かずの間の怪

 おもしろドア。
 ミステリ+ホラーでは三津田信三作品、高田崇史『化けて出る』などがあるが、一度論理的に解決した後、じつは怪異でした。というちゃぶ台返しは「論理的解決なんてありえない」という主張があるのでもない限り面白いものではない。主張がなければただの悪趣味だ。受けが良いはずがない。
 その点本作はすべてをひっくり返すのではなく、本筋とは別のごく局所的なところでホラーを演出しているだけに留めているので印象は悪くない。きちんと犯人がわかっているという要因もあるだろう。

二十世紀的誘拐

 下で言うけど、ヒントがないね。なくてもわかるかもしれんけど。

除夜を歩く

 ミステリ論がメインで、そのための作中作、そのための挑戦状、という作品。いや、作者的には歩かせるのがメインか。
 後期クィーン問題についてでも語るのかと思ったら意外と面白い話、見たことない指摘だった。まだ自分の中で噛み砕けてないけど、面白い。
 後期クィーン問題とは違うけど似ている。結局ミステリって「論理的解決は幻想」というとこに行きつく。パズルほどには条件を限定できないからだ。

蕩尽に関する一考察

 結局夫婦が野放しなのはスッキリしないが、面白くないことはなかった。
 が、素直に復讐しろよーと思わなくもない。別の形での復讐なら捕まらない希望が持てる方法もあっただろうし……。捕まる覚悟もあるし、殺す気までないにしては捨て身すぎる。
 とか思ったけど、あくまで罪を償う気はあり、「犯人として罪を糾弾されつつ、責任は取らずに済む」方法としてああしようとしたってことか。だったらもっとそこを強調した方が良かった気はする。


 問題の人物がレストランで全員に対して驕ろうとする。そしてその中で江神さんが手を上げて全員を代表するような形で質問する。というシチュエーションは妙に気に入った。主役キャラ(特に探偵)が不特定多数の前で目立つシチュエーションってやっぱ華々しさがあるな。



 全体の印象は……、

  • 女っ気がないのはやっぱ辛い……と、マリアがちらっと出てきただけでテンション上がったさいに自覚する。
  • 『読者への挑戦状』こそないものの、一応特定の節前で考えれば解けるような作りにはなっているようだ。
    • が、それにしては全体的に憶病。ちょっとヒントを与えなさすぎている。具体的には……、
      • 『瑠璃荘事件』は既に述べたあの一文。
      • 『やけた線路の上の死体』は、『皺一つない遺書』をキーワードにしてるくせに、『皺一つない』のワードがあまりにもさりげなく一度触れられているだけ。他の登場人物は「皺一つないということは……」みたいな反応一切なし。反応しすぎるとバレバレだから仕方ないにしても、さりげなさすぎる。
      • 『二十世紀的誘拐』は、コピーを匂わせるヒントが(多分)まったくない。
      • 「裏焼き(反転コピー)」を知らなかったがために完全に正解できなかった人がいたらちょっと可哀想。88年当時のコピー機でできたのかは不明。
  • 根幹のアイデアはどれも良いように思う。

*1:冒頭の叙述トリックを使った賭けはミステリマニアのおちゃめな生態を演出するために加えて、本筋で叙述トリックが使われることへの伏線・ヒントにもなっているわけだ。叙述まで使って騙そうとしながらあえて叙述の存在を匂わせるこの矛盾感。みあげたフェアプレイ精神である。結局アンフェアだったけど

*2:他にあれば教えて下さい