だれもがみんな悩んでる。No one is Perfect! 応援アニメ『空中ブランコ』の優しい視点

空中ブランコ 初回限定生産版 第1巻 [Blu-ray]

 あぎゃあ。すげー面白かったわー。とは言えこんな感覚なんて事前の期待値の度合いで変わるし、一口に「面白い」って言っても受け取り方は人それぞれだからこんな言葉だけじゃ伝わらないよねっ。というわけで『見たばかりの興奮で評価高くなりがち効果』を恐れずランク付けしておくのであれば評価『A』。この評価システム自体まだ完成してないんだけど、S〜DのS以外にプラスとマイナスを加えた全13段階の『幽白』式の奴。


 本作は04年に発売された奥田英朗の『空中ブランコ』が09年にノイタミナ枠でアニメ化されたもの。各話それぞれが緩く繋がった単話もので、全11話、11人のキャラクターが精神科医伊良部一郎の元を訪れ「治療」をしてもらうという精神病をモチーフにした作品。伊良部一郎と助手は全話に登場するのだけど、彼らは主人公ではなく狂言回しね。
 精神病とかいうと重々しくて忌避したくなるエグイ患者が出るのかもと不安に思う人もいるかもだけど、皆ごくまともな感覚と神経を持った患者で、『ドグラ・マグラ』のようなアレな人は出ないので安心してください*1。むしろ伊良部先生が一番の変人で患者を戸惑わせてる。
 あと予備知識として……、「ハイブリッド・アニメーション」なる手法が用いられてる。アニメに実写を織り交ぜてんだけど、各話の主役キャラをそれぞれの声優さんの顔でやってるっていう。でも常時実写じゃなくて要所要所で時折実写が混じる形で『みなみけ』のリアル顔に近い。その他にも建物や家具が極彩色で彩られてたり、患者が隠喩的に動物になったり、突然病気の補足解説が入ったりと、演出がピーキーな見るものを選ぶ作品である。ノイタミナって一般層も狙うあまりアニメアニメしたコースから外そうとする意識強いのかな。でも思ったよりインコース来なかったんで全然引かずに済んだ。この題材ってやろうと思えば『魔人探偵脳噛ネウロ』みたいに、もっと大げさに極端に描いて気持ち悪く悪趣味にできたと思うんだけどそうはやってないわけで、実は奇を衒おうとして衒った作品ではないと思う。実写は単純に「リアルさ」のレベルを上げるために必要だったんだろう。じゃあなぜ「リアルさ」が必要かというと……。




 で、本作の何が良いって、「悩み解決のカタルシス」と「公平な視点での人間描写」。


 まず「悩み解決のカタルシス」。悩みを抱えた人間がそれはそれは実生活に影響を与えるレベルで困ってたりするんだけど、人間の悩みって「個人の世界の見方」に拠るところが大きいわけだ。原因は相手じゃなくて自分にある。その人の世界の見え方が変わればそれまで悩まされていたことが嘘のように馬鹿らしくなり、それはたちまち雲散霧消する。この辺、最近読んだ京極夏彦邪魅の雫』とも通じる話だけど*2、本作はそこに意識的。そして意識的だからこそできるお約束を外した解決が気持ちいい。
 本作は一つの話が終わった時に、まったく状況が改善してない患者や、問題が解決してない患者がいるんだよね。最初は「あれ?」と思った。気持ちを全部吐き出したり、元の状態に戻ったりしなくていいの? って。でもこれは内面の問題であることを強調するためだと気づいた。
 だから逆に内面以外も含むすべての問題が解決して有無を言わさぬハッピーエンドになってしまう方が作品としてはよろしくない。病気を克服して万事が上手くいったから良かったのかという話になる。眼目はあくまで「悩み解決」であり「問題解決」ではない。いや、「悩んでることだけが問題」なわけだ。むしろ状況は変わってないのに晴れ晴れ生き生きとした表情になってるってのが大事。つまり内面の問題だけ片が付きさえすれば状況は変わらなくてもいいわけで、それって解決のハードルが低いとも言える。相手や自分に打ち勝つ必要すらない、相手や自分をちょっとだけ受け入れてやればいい。
 その、「結局自分で自分を苦しめてただけなんだ」「内面の問題なんだ」と気付きを得る部分と、「もう大丈夫だ」という安心感がしっかり描けてる。患者の世界が一変して、悩みが消えてスッキリして、目から曇りがなくなって……そうなってEDの『Shangri-La電気グルーヴ)』が悩み解決の証左のように流れてきて、曲の良さと爽やかさもあいまってこの上なく心地よい爽快感を得ることができる。正直、この解決⇒EDの流れのカタルシスが大きくてそこが楽しみすぎた。カタルシスが=クライマックスの作品って良いよなぁ。面白さを枝葉に担保されてる作品ではこうはいかない。




 そして「公平な視点での人間描写」。これまたありがちな定番ストーリーから良い具合に型を外してるし、その視点が優しいので見ていてとても気持ち良い。
 たとえば……(以下ネタバレ)、
 三話「恋愛小説家」は主人公が「自分の好きなものだと売れないから自分の好きを曲げて好きでもない恋愛小説を書いている売れっ子作家」というテンプレ話なんだけど、最後には、「恋愛小説も読んでよー! そっちも本気で書いてるからさー」と「恋愛小説を書いていた自分」を受け入れている。それまでの努力を無駄だと言ってない。
 二話「勃ちっ放し」ではどちらの女に対しても怒鳴りつけて黙らせるようなカタルシスは拒んでいる。これは相手を尊重した大人の態度だ。
 一話「空中ブランコ」の外人は主人公のことを馬鹿になんてしていなかったし、五話「義父のアレ」の妻も野球を嫌ってるわけじゃない。八話「いてもたっても」の編集者は偉そうにしていても主人公が立ち上がっただけで何かされると勘違いしてビビってしまう小心者だ。
 四話「ホットコーナー」ではポジション争いをしていたライバルも主人公と同じように苦悩して頑張ってプレッシャーに耐えながらプレイしてることが明かされる。七話「ハリネズミ」も思わぬ相手が自分と同じように苦しんでいたことが明かされる。九話「天才子役」も、流れ的にはオーディションで後輩に役を奪われそうになるのだが、後輩は後輩でプレッシャーを感じている様子だし、絵に描いたように上手くいっているわけではない。十一話「カナリア」だって悩んでるのは自分だけじゃないという話だし、(このへんまで)時系列同じにして同じお店に各話のキャラが集まってクロスオーバーしてるのも「悩みを持つ人は自分だけじゃないし、自分がこうして悩んでる間にも同じように悩んでる人達がいる」というのを強調する演出意図と言えるだろう。


 目の前の相手はぎゃふんと言わせるべき敵じゃないし、自分への悪意があるわけじゃない。偉そうでも強そうでもどんな端役に見える奴でも皆それぞれに人生があって悩みや欠点を抱えていて、完全無欠の人間じゃない。だからといって自分だって倒すべき敵じゃない。自分のことを全否定する必要はない。全編にわたって見られる本作の主張ってそういうことなんだよね。相手を受け入れてあげる、自分を受け入れてあげる、それだけで世界が違って見えてくる。
 本作に登場する奴らは皆真面目で良い奴だ。真剣ゆえにそストレスを感じて苦しんでいて真面目な奴ほど病気になりやすいというのがよくわかる。本作はそんなふうに一生懸命頑張って生きてる奴らに対する応援作品だ。「君は君のままでいいんだよ」「答えはどっちでもいいんだよ」「他人の目なんて気にしなくていいんだよ」「友達がいなくて寂しくっても、それはそれでいいんだよ」「完璧じゃなくていいんだよ」と受け入れてくれている。そんなふうに苦しみながらでも頑張って生きてる人間すべてが「愛おしい」。そう言っている。
 本作がなぜ実写なのか、なぜリアルに寄せるのかというと、これらのことは作品の中だけの話だけじゃなく、現実の世界でも同じですよと強調して言いたいからだ。「No one is perfect。だから君も、安心していい」。この視点が優しさでなくて何だというのか。
 見る人のほとんどが「これは自分にも通じるとこあるな」って引っかかるところが一つや二つあると思うんだけど、そういった人たちを楽にさせようとする、安心させようとする善意に満ちた作品だと思います。これが本当の癒しアニメだろ! もっと評価されろ!




 というわけで最後に蛇足的に森博嗣式評価(by『森 博嗣のミステリィ工作室』)も付け加えておくと、

衝撃 ★★★★ 
独創 ★★★★ 
洗練 ★★★★ 
感性 ★★★★ 
残留 ★★★★ 

※5段階評価


 うぅん、こう評価するとまるですべてが中途半端だと言ってるようでもあるな。でも『A』だし、こんなもんか。


  • 十話「オーナー」で泣きそうになる(嘘だ。二回目で泣いた)。俺こういうの弱い気がするけど多分みんな同じ……だよな? いや、泣き所は人それぞれか。
  • 各話の時間軸が同じで、緩く繋がりあっていて、一話主人公のシナリオに二話主人公が出てきたりするところはゲームソフト『街』と同じ。であるからして最後は『花火』のようにそれぞれの決着を終えた全員がサーカス公演を見るとかって形で集合するのかと思いきやそんなことなかった。上述した演出意図でやったことだからそれは必要なかったってことかな。でもそういうシーン見たかったな。
  • 伊良部先生が注射に興奮してるんだけどその理由は最後まで明かされず。コイツはコイツで病気なんちゃうか? いや、最後に狂言回しだった人間の過去が明かされるとかそういうシリアスが欲しいわけじゃないけど。
  • 伊良部先生の社会的地位にちょっと驚かされた。なんだろうね。べつだん大したことではなくむしろ「当たり前」だと思うのだけど、にも関わらず感じてしまうこの感覚は。

*1:精神病は大きく分類すると「神経症、依存症、躁鬱病統合失調症人格障害、脳器質性障害(痴呆含む)」の六つに分けられる。妄想に憑かれた統失患者なんかは怖く感じる人も多いだろうが、本作には出ない。ほとんどが神経症である。

*2:というか京極作品全体に通じる認識論的な話かも