『放課後のトラットリア』 〜異世界ものとしての意義は?〜

『放課後のトラットリア』(作・橙乃ままれ 画・水口鷹志

放課後のトラットリア 1 (メテオCOMICS)

  • 一巻だけ。すごい期待してたんだけど、すごいつまんなかった。
  • さすがと言うべきか、筋のわかりきった導入部の流し方が堂に入ってる。のだけど、逆にそこがつまらない、というのが気になった。アニメ『はたらく魔王さま』の面白かった細部(カツドゥーンとか、不器用な日本語で不動産屋と交渉とか)が小説では一切なくて驚いたことを思い返す。でも「早く本題に入れ」という要請があるのも確かで、「わかりきった導入を面白く描く工夫をした方がいいのか」、「さっと流す努力をした方がいいのか」、というあたりのバランスは難しいとこだよな。
  • 作者の作品は本作以外には『まおゆう』しか読んでないわけだけど、きっとこの人は、組織を描いて国を描いて……という手法でファンタジー世界に現代社会的リアリティを出せるのが特技で、その辺りの描写力がオリジナリティであり、一番の武器になっていると思われる。
    • しかし俺らがファンタジーに望むのは、たとえそれが愚かだとしても現実世界以上の「ぬるさ」だろう。別の言い方だと「俺つえー」。
    • にも関わらず、国を描き政治を描き、その世界の厳しさを描いていくと、表面的には剣や魔法やドラゴンなどで彩られていながらも実質的には現実世界と何ら変わりない夢のない世界になってしまう。むしろ異界側では重要人物として国政の中心付近にいるぶん息苦しくなるし、全然楽しくない。
    • そういう重苦しさというのを主人公たちの優位性・特異性でバーンと打ち破るのが正道であろうが、現時点でそのカタルシスはあまり……。
    • どうも、主人公側は「世界を変えられる力をもちながら、あまり干渉したくはない」らしく、そこが新しいと言えば新しいようだ。「え? じゃあ何? 何したいの?」って思っちゃうけど、作者が意図的であるなら、当然他に代わりとなる見どころは用意されているのだろう。今のところ見当たらなかったが、本音隠したままの鞘当てとかそういうある意味中二病的なとこ?
      • その辺考えると、同じ異世界ものと言えど、『SAO』のような原住民がいない(ゆえに原住民との摩擦を考えなくていい)って世界は特別さがあるな。
  • やっぱ原作者の人も得意じゃないんだろうなと思うけど、女の子がまったく可愛くない。主人公グループを女の子オンリーにしたのは、あらすじの弱い部分や作品の重苦しさを「萌え」の牽引力で補おうとしてそうしていると思われるが、びっくりするくらい萌えなくて、まったく効いてない。女の子が寝ぼけて同じ部員のおっぱい口にしてたとかぜんぜん萌えなかった。そういう記号だけのあざとい百合とかいらないんで。
    • 絵が可愛くないというのもある。画力はあるのだけど、獣人とかの方が魅力的に描けていて、人物はあんまり……。
    • そもそもキャラが立ってないよね。かろうじて能天気主人公と高校生離れした精神年齢キャラの部長が認識できるくらい。区別できる程度のレベルで、さほど特異性も感じられないし、ましてキャラが好きというレベルにはほど遠い。立てる暇もないのか、急ぎ足が仇になってるのか……。
  • カタルシス補充のためには話をもっとシンプルにした方が絶対良いと思うんだけど、料理勝負とかはやりたくなさそうだな。
  • そろそろ偉そうなこと言い過ぎな気がしてきた。つまらないと言ったが、すべて理解した上での評価ではない。この先、料理モノとしての本作の目的や狙い、見どころがハッキリしてくれば、これから面白くなる余地はあると思うが、はたして。