創作物におけるキャラの好感度問題


 前(↑)の続き。


 最近は主役格のキャラを意図的に嫌な奴に描くなど従来とは異なる作劇の作品が出てきたせいか*1、受け手全体の傾向としてキャラの言動におけるモラルアンテナが高くなったと感じている。
 たとえば『俺の妹がこんなに可愛いわけがない』の新垣あやせや『ベン・トー』の白梅梅などは「こいつ嫌い」という反応がちょくちょくあった*2。どちらも主人公に対し理不尽な暴言や暴力を行うS系電波*3キャラである。
 ただおそらく、作者自身に嫌な奴を描いたつもりはないだろう。作者自身は気に入っているのだが、その行き過ぎた行為が、作中ではギャグ扱いになっているにもかかわらず受け手の鼻についてしまうという悲劇が起こっているわけだ。
 いま現在その手の最たるものと言えば『WORKING!!』の伊波さんだろう。暴言と暴力では比にならない不快感があるのか、彼女がムカつくという意見は非常に多く見聞きする。俺としては仕事しないどころか店の食材に手をつける店長や伊波さんへの態度が冷たすぎる小鳥遊くんあたりも気になるところだ。この作品のキャラは非常に思い切ったあり得ないキャラ付けがされていることが多い。
 また、『僕は友達が少ない』の三日月夜空が嫌いという声もちらほら見聞きする。アニメ第7話「携帯電話は着信が少ない_| ̄|○」では行き過ぎた冗談から星奈を泣かしてしまい、これに引っ掛かりを覚えた視聴者も少なくなかったようだ*4(原作はこれほど酷くなかったらしいが)。


 最近はニコニコ動画で再放送中のルパン三世を見ている。銭型が警察官にあるまじき振る舞いをすることがあるが、そこではツッコミが入りつつも「w」付きであり、本当に不快感を覚えている人はいないらしい。「昔のアニメだから」というフィルタがあるのだろう。もっと以前であれば単に「アニメだから」というフィルタだったかもしれない。
 だが現在はアニメや漫画においてもそれなりの説得力やエクスキューズが求められる。アニメや漫画が文化として高度なものに発展し、同時に受け手のリテラシーが上がったからだろう。「漫画だから」「アニメだから」では納得できないし、そんなふうには割り切れない。そんなふうに割りきれるのであれば、漫画アニメは今でも「子どもだけが見るもの」という見方が強かったはずだ。
 だからギャグ調で処理されていても誰かが泣かされていなくても、不謹慎な行為は眉を顰められる。いや、昔からある程度のモラルは求められていただろうが、現在はそれがより高い水準になったという感じだろうか。


 普通の人格では話になりにくいから強烈な個性を加える。不謹慎なこと、ぶっとんだことがなければ作品を作ること自体が難しい。
 でもあまりにキャラがぶっとびすぎているもの、そうした人格になったことに納得のいく説明付けができていないものなどは受け手に不快感を与えてしまう。
 ちょうど良いラインを模索するのは作り手側からすれば難儀なことだろう。でも俺はこれを良い傾向だと思っている。音楽や演出といった表面的情報に流されなくなり細部にも目がいきがちになった大人が楽しく鑑賞できる作品にはモラルへのフォローが必須だと思うからだ。けっして、昔のようにぶっとんだ破天荒なキャラが存在しにくくなってしまったと警鐘を鳴らしたいわけではない。






 ちなみに、さっきニコニコで『ベン・トー』第8話「たっぷりニラハンバーグ弁当 765kcal」を見たところ、「ゲームに負けてイラついた部長がゲーム機本体を窓の外から投げ捨てる。その結果として主人公くんが大怪我を負ってしまう」という話があったのだが、この非常識行為に腹を立てた視聴者はいなかったようだ。「詩」「インスピレーションを受ける白粉」「セガサターンを抱えたまま離さない」「大げさな全身包帯」「特に悲壮感も漂わせず変態的欲求を見せる主人公」など執拗とも言えるギャグを重ねた上、「主人公くんは自分の意思で飛び降りた」「部長は主人公くんが飛び降りるとは思わず、値段を聞いた上で弁償しようと思って投げた」などのエクスキューズを挟んだ結果だろう。「やったのが普段は優しく可愛い先輩だった」というのが一番大きかった気もする。これが白梅梅だったら俺はきっとムカついてただろうな。それまでの積み上げにもよるのだろう。好感度って大事だ。

*1:完全に主観の印象である。一例として米澤穂信の「小市民シリーズ」を挙げておく

*2:もちろんその一方でデレ妄想したり、むしろそれが良いという「相手が美少女ならすべてがご褒美」系の強者もいる

*3:「電波」というとちょい言い過ぎかもしれない

*4:【はがない】アニメ『僕は友達が少ない』第7話感想まとめ 肉の評判が上がる一方で夜空の評判が…