米澤穂信『クドリャフカの順番 「十文字」事件』を再読して考えるキャラの好感度問題

 里志「僕は意外性のある人間しか相手にしたくないんだ。君みたいな人は記憶にも残ってないよ。そんなんで馴れ馴れしく話しかけられえも迷惑なんだよね。面白い話? 勝負? やれやれ(笑)」


 予定外に刷り過ぎた文集が捌けていく様は楽しいし、わらしべシステムも楽しくないわけがない。文化祭のワクワク感もよく出ていて面白かった記憶があったのだけど再読するとキャラの人格が辛いな。
 特別人格に問題のあるでもないクラスメートが親しげに話しかけてきたのにそれを迷惑がるというのはちょっと……。こんなの普通に苛ついてしまうだろう。こんなキャラが主人公パーティの一員で良いのだろうかと思ってしまった。特別悪意ある読み方はしてないつもりだけどな(上の書き方はちょいあるかもだけど、でも要約するとこうなるよね)。
 米澤先生のことだから、痛い、あるいは欠陥のある高校生を描こうとしているのかもしれないけどこの辺り回収されるんだろうか。


 『古典部シリーズ』では省エネタイプの主人公くんの好感度が高くないような意見も耳にしたのだけど、俺は主人公くんに対しての態度が過剰に冷たすぎる伊原や本作において上記反応を示した里志もどうかと思うんだよね。主人公くんはあんま気にならない。
 っていうか初読時にこれが気になっていなかった俺はなんなんだろう。「主役達は気の良い奴ら」と勝手に決めつけてそんなフィルタを通して見ていたのかもしれない。つまり、キャラの好感度においての意識やリテラシーが低かった。


 ここからさらにキャラの好感度について考えていきたいが、思ったより長くなるかもしれないので続きは別記事に分ける。