よもやま話

  • 前記事の追記。

ニコニコで見た。と言っても無料公開最終日だったから初見コメントは少なかったかもしれない。
前記事で突っ込んだほとんどの点には同様のツッコミがなされており、一安心。
でもこの雑なシナリオを「神回!」とか言われるとむず痒い気持ちになる。
ニコニコって基本みんな好意的・肯定的になる場なんだな。ダメなところも含めて「良かった」って言ってる感じ。本当に嫌いな人がコメントすると荒らしになってしまうんだろう。


ちなみにニコニコではこの話が「昭和的」「高橋留美子」「らんま」と評されており、あー昔のアニメってそんなだっけかなーって思った。


ところで、婆に道聞かれて、その後、迷子の子どもに服引っ張られ助けを求められるという展開が『それでも町は廻っている』8巻、第59話「笑ってごらん」と同じであることに気付いてまたむず痒くなる。

「一個の生命は地球より重いんだぞ!!」
「その地球に何十億個の生命が存在してると思うかね」

藤子・F・不二雄『いけにえ』〜

命の価値・重さ問題。度々見聞きする台詞でありテーマである。
たとえ人一人の犠牲で10人救われようが10万人救われようがその人の身になったら選べないし、犠牲にしていい道理はないよね的な。

これって今までは漠然と「個人の価値を尊重する話」って理解してたけど、そうじゃなくて、「誰かを犠牲にして生き延びるって選択がされたってことは、今後もその選択を繰り返すということであり、そんな社会は終わり」だからってことなのかもなーって思った。一度その道を選ぶと歯止めが効かなくなりいずれ全体をも滅ぼしますよーという、なんか、「独裁者スイッチ」的な。
個人を尊重とかじゃなくて、個人は犠牲にしていいとしても、それはイコール全体を殺すことだから、そういう意味で「ダメ」っていう。

  • それでも町は廻っている』。芸が細かいというか、細部にまでネタを仕込む作品だと思っていたが、9巻_第67話「答砲悋気」において、歩鳥がアメリカンドッグの皮だけを先についばみ中のフランクフルトだけを残すという食べ方をしていて(文脈上は関係ないため誰もそのことに触れない。絵だけでさりげなく描かれている)、そんなとこでも歩鳥の妙ちきりん感を演出しているのだなと感心した。
  • 漫画やアニメを守ろうとする際に「有害ではない」という弁護をする人がいるけど、害がないとは言えないんじゃなかろうか。良い影響があったり悪い影響があったりはそりゃするだろう。「害がないわけではないけどそれ以上に素晴らしいもの」ってスタンスの方が正確だし、守りやすいのではないか。『キノの旅』の『安全な国』を思い出す。
  • 世の中には素晴らしい作品が数多くあって、それらだけを選んで触れても時間は足りない。全ての傑作に触れることなんてできない。という当たり前の事実をたまに思い出す。そんなわけなので触れる作品は自分でちゃんと選んで決めたい。たとえ星新一といえどもとても1001作なんて読んでられねーよなぁと思った。