城平京『くだんを殺せ』


小説 スパイラル~推理の絆~ (4)

!!!ネタバレあり!!!

再読。
城平先生のミステリ地力はとても信頼しているし、尊敬もしているのだけれど、残念なことに戴けない箇所を見つけてしまった。


犯人は、歩の元でアリバイを確保し帰宅。その後、焼き物の破片を片付けることで凶器のすり替えを行い、犯行時刻を誤魔化した上で警察を呼んだ。
そしてこの犯行における唯一の物的証拠は、『完全に処分することができなかった焼き物の破片』だった。
結局警察は、犯人が処分することのできなかった焼き物の破片を証拠に逮捕まで漕ぎ着けた。
……という話なのだが、犯人が最善手を打ってない。どころかちょっとアホなことしてる。


犯人にとってはアキレス腱である"焼き物の破片"――これを処分しないまま警察を呼ぶのは考えられない。
これさえ処分すれば証拠はなくなるのだから、多少疑わしく思われようとも処分すべきだった。不審な時間ができてしまうが、アリバイを確保している以上、警察への連絡が遅れても構わない筈だ。
そうして、最初は作中通り、「私が殺した。通報が遅れたのは呆然としてたからだ」と言っておく。
やがて歩が証言者として出てくれば、『歩の家を出た時間と、通報時間の間に空白がある』ことがバレる訳だが、
そこは、「やっぱり呆然としてたから」とでも言えば良かった。何とでも言っていい。
大事なのは、その嘘がバレても『殺人の証拠はない』ってことだ。『嘘を言っている=犯人』とはならない。


結局、何が問題かと言うと、『もっと上手いやり方があったにも拘わらず、それがなかったかのように書かれていた』こと。或いは、『すぐに警察に連絡しなければならない理由が語られていない』ことだ。
帰宅後、即、警察に連絡しなきゃいけなかったように書かれてるけど、そんな必要どこにもないんだよね。凶器処分後に連絡すればよかった。
で、なぜ城平先生がそんな風に描いたかというと多分『犯人に最善手打たせちゃうと証拠不足で逮捕できないから』それでは『お話にならないから』*1
かと言って単に『犯人はミスを犯したのです』とやってしまうと興醒めする。だから『本当は最善手ではないものを最善手と見せかけた』のだろうけど……うぅん。
犯人はミスを犯してはならないと言ってる訳じゃあないですよ。ミスしたのにミスがなかったように描いちゃダメって話です。


細かい話のようだけど、ミステリはこういうとこが大事なんだよな。
森先生が何度も言っているように、ミステリの推理なんて大抵が論理的じゃない。論理的っぽい推理で犯人を指摘してる作品は少なくない筈だ。
だからこそ、そこがしっかりしてる作品は高く評価される。

*1:素で気付いていなかった可能性もある