2012年10〜12月期アニメ感想 1

 いくら捻りを加えたいからってこのアニメ大量生産時代に一目見て中身思い出せないようなサブタイトルつけてんじゃねぇぞ! 完全に俺に迷惑だろうが……!
 見習え! 『お兄ちゃんだけど愛さえあれば関係ないよねっ』と『K』は『神様はじめました』や『ガールズ&パンツァー』を見習えっっ!!
 (タイトルからサブタイトルが思い出せない人はリンク先の公式ページで確認してみよう!)


 『中二病でも恋がしたい』は意外とわかりやすかった。


中二病でも恋がしたい!  (2) [Blu-ray]
 【あらすじ】
 六花は現実逃避から中二病になって家族から心配される。家族は現実と向き合って欲しいと思ってる。勇太に言われて一度止めるけどなんか目が死んでる。勇太もちょっと後悔。勇太の手助けで父親に「さよなら」を言える。中二病は卒業キャンセル。


 まず本作のポイントは、「ごっこ遊びレベルの中二病」と「現実逃避レベルの中二病」という二つがあるところ。
 六花は後者だが、「中二病をやめる=現実逃避をやめる」ではない。六花が現実逃避をやめたのは「父親に別れを告げた時」だ。父親の死を受け入れ現実逃避をやめたのだからその後は中二病に戻っても問題ないって理屈だろうけど、「中二病肯定しちゃダメだろ」的な感想が聞かれたのは、この「現実逃避タイプ」から「ごっこ遊びタイプ」への変化がうまく伝わっておらず、ずっと「六花の中二病=現実逃避」と思われていたからだろうか。
 いや、たとえその誤解がなくとも六花の家族関係問題がフォローされてなかったのでそうした意見が出るのは頷ける。母親は何を問題視してるのかわからないし、爺は現実逃避じゃなく中二病それ自体の子どもっぽさを嫌ってるように見えたし、十花も完全に「中二病=現実逃避」の認識だったから、「現実逃避はやめましたけど中二病はやめません」で納得するのか怪しい。問題が解決してるように見えず、いまひとつスッキリしない。


 じゃあそこを抜きにすればあれで良かったの? というと、それもない。
 だって本作における「中二病」は「中二病」である必然性がない。「前世系(「私の前世は○○国の王女で〜」)」や「幼児退行(リトバス!)」など他の逃避行動とも置き換え可能なモチーフにしかなってなくて、そこから出された結論はただ「現実逃避は良くない」って普遍的メッセージでしかない。ひいき目に見ても「"中二病"は"現実逃避"じゃないから混同して否定しないでね」くらいの話にしかなってない。
 問題にされたのは「現実逃避」なのだから中二病を卒業しようがするまいが首を捻っていただろう。たしかに「中二病」には「現実逃避」の一面もあるだろうけど本質じゃないし、逆が真とは限らないので、「現実逃避」の是非を問うことが「中二病」の是非を問うことにはならない。六花が中二病に帰ったから肯定されたように見えるけど、そういう意味では中二病は肯定されてない。はじめから問題にされてなかった。
 おそらく最初期は「中二病は恥ずかしいけど好きな物は好きだからいーじゃん」的なオタク肯定話を描こうとしていたのだろう。「中二病」の良し悪しを語るために「中二病とは何か」「それによる弊害や問題点」などを描き、良い部分も悪い部分も含めての中二病肯定……みたいな。凸森なんかはそのために用意されたキャラに見えるしなぁ。くみんは……なんだったんだろう。



  • 最近『テーマ語りとエンタメの綱引き』って考えてて、要は「どの時点でシフトし、相反しがちな二つをどの程度の分量で割り振るべきか」って話なんだけど、本作は「ああ、テーマの導入ってアニメならこんな形が美しいんだろうなー」ってくらい綺麗に折り返しの7話「追憶の…楽園喪失」からシリアスに。前半は中二病の笑えるところを前面に押し出して見てて楽しいコメディやってるし、半分でエンタメとテーマ語りを割ったと考えると『Lite』が6話で終わったのも納得。
  • シリアステーマを語ること自体は悪くないだろうけど、やっぱ前半のコメディエンタメを希望する人が多かったみたいだ。シリアスがちゃんとしてればもっと評価も変わっただろうけど。前半はそれなりに「中二病」を描いてたと思う。
  • 事情はよく知らんけど、京アニが原作小説を食い物にしてる気がして印象よくない。根本のアイデアだけいただいてオリキャラ増やすレベルの改変するんならもう自分らでオリジナル作れやって思っちゃうな。
  • OP良かったなー。映像もだけど歌詞も。「もう始まってた」とか恋に落ちた感じをうまく表現出来てると思うし、全体的にわかりやすく入ってくる。
  • やっぱ動きやしぐさとかすごいし、見せ方も考えてるなー。たとえば最終回、中二を受け継いだくみん先輩と話してるシーンで、ダメ押しするかのようにスッとアーマーリング付きの手がカメラに入ってきて笑いを誘う。
  • その上さらに『Lite』作ったり、公式サイトのキャラのセリフを毎回変えたり、そういう努力とこだわりは凄い。「だったらなんでその気持ちをほんの少し…ほんの少しだけでいいから日常以外のシリアスパートに なんで分けてやれなかったんだ!!!」とゴンさん。
  • 言葉にするとこうなっちゃったけど、十分面白かったし、後半もそれなりに楽しく見てた。格の高い森夏や懐の深いくみん、中二病ながらクラスメイトと仲良くやってる凸森とか皆キャラが良かったね。


武装神姫 3 [Blu-ray]
 アニオタ向け『ハム太郎』。それに加え「バトルもできる愛玩系メイドロボのちょっぴりユニークな日常コメディ」って説明で十分内容が伝わりそう。
 基本的には神姫の世界で、マスターも最初と最後にしか出てこない。人間は間接的にしか介入しない。最終回でもマスターは助けに来ない。


 この手の話はどれだけ深刻さを減らせるかがポイントでもあると思うので、そういう意味だと第6話「アテンションプリーズ!当機は地獄へ参ります」なんかは最後に「演習」だったことが明かされる仕掛けになっていて良かったな。反面、第9話「レーネの地下帝国ウォーズ」はコミカルに描かれていてなお、マスター失ってスラム生活してる神姫たちが不憫だった。
 う〜ん、やっぱ設定的には無理して悲劇を無視してる節があるというか、心を持っていて、人間が好きで……っていう彼女たちの存在はたくさんの不幸なドラマを生んでいてもおかしくないと思うんだよなー。この作品では描かれてなくても、これまでに描かれてきた同モチーフ作品は忘れられないわけで、「型落ちでの廃棄」とか「人間だけが年をとって……」とか、悲しいドラマを連想させる。


 あと日常の風景でいうと、小さな彼女たちが人間サイズの物を相手に奮闘する姿が愛らしかった。よくある「小さくなっちゃった!」系の、大変なんだけどどこかユーモラスなワクワク感がある。でもでも、通常業務のあれやこれやがあまりにも重労働すぎて、これまたかわいそうになってしまった。傘届けるのも弁当届けるのも昔の人が命がけで旅するのと同等の危険さだろ。こいつらちょっと予想外の事故で道に迷ったり動けなくなったりして充電切れたらジ・エンドだぞ。マスターふざけんなってなるよ。


 あーあと、人の心を持つロボットが人と同じように飯食えないのすごいかわいそうに思っちゃうんだけど、この「ヂェリカン」っていう神姫用嗜好品はその救済措置だったのかなー。たしかに悲壮感は軽減されてたと思う。でも、すげー頑張って料理してたのとか見ると同じ飯食えないのやっぱちょっと残念な気するなー。引越しそば引越しそば言ってた奴らも食い意地張ってるキャラ設定なのかと思いきや、アイツら自身は食えないわけでしょ? じゃあ根に持ちすぎだろ。


 その引越しそばペアがマスターのプリクラ破かれて泣くシーン。本作ってシリアスシーンでもあまり深刻になりすぎないないようコミカルに演出されてると思うんだけど、それでもなんか胸が痛くなる思いがしたのは、そのシリアスが作品に合ったレベルだったせいかな。「小さなことが大事件」の世界感だから些細なことでも悲劇に感じられる。だから全然軽減されてないよ! 逆にこの世界感で人死にが出たりした方が薄っぺらくて感動できなかったかもしれない。


 最終話でヒナの行方を突き止めるくだりは、ハガキの宛名ミスだの目撃証言だのを絡めて納得できる展開にしていて丁寧な仕事であった。できればラストの記憶復活についても同じだけ納得のいく理屈が欲しかった気がするけど、こういう場合、理屈があるのとないのとではどちらが良いんだろうね。理屈なんてない方が感動できて良いのだろうか。


 細切れに色々言ったけど、結論、「ロボットが心を持つのは悲劇のはじまり」。翻って、「心あるロボを題材にコメディやるのは難しい」。『神様はじめました』のジュリエッタ先生が昔『カラクリオデット』ってロボ×学園もの描いてて、これも基本明るいハートフルコメディなんだけど、やっぱこの辺に足取られた感あるんだよな。
 ロボものはもちろん、心があるからこその感動もあるだろうけどさ。


 それにしても本作のハムスター。マスコットキャラっぽく存在してはいるが本作の場合すでに主役の彼女たちがマスコット的な愛らしいものだし、なんか感情見せるでもないし、それ要るぅ〜? って感じなんだけど(最終話で役に立った)、カメラワークによって異様な存在感が演出されている。『ゆるゆり』一期における生徒会長がカメラワークによって徹底排除されてたけどそれの反対というか、必要ないにも関わらずただただ存在感だけがあるという……。

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 これまではあまり本作に馴染めなくて、たしか3期はほぼ見てなかったし、もう続編とかいいよーとか思ってたんだけど今回は面白く見れたうえ、癒しとしても機能してた。
 先輩組の卒業が見えてきたり、進路の話をしたり、卒業した先輩と会ったり、日常を消化しつつも高校生活の終わりに向かって確実に話が進んでいて、ちょっと寂しさや切なさがあるんだけどそれによりまた今ある日常が貴重で尊いものに感じられて……いい塩梅だったのではないかと思う。すみずみまで丁寧に描かれてた印象。こいつらちょっと優等生すぎじゃねーかって気もしたけど。


 卒業まで描かれず一月一日の新年を一応の区切りとして最終話となってるんだけど、特に普段と変わったことはせず(主人公たちだけじゃなく作品も)、いつも通り風呂入って終わるのが良い。どこででも終われるし、終わっていいっていうのが日常系としての理想なんじゃないかと思うけど、そういうの考えるといまさらながら毎日の締めに風呂入って区切りつけて一日を振り返る作りってのは良かったよなー。
 いや、作品どうこうじゃなく、そもそも人の生き方としても理想的なのかもしれない。なんでもないような日々をそうやって振り返るのは毎日を大事に生きてるってことだろうし(ゆのにとってはなんでもないような毎日すら非日常であったのかもしれないが)、毎日一生懸命生きてればどこで終わってもいいと思えることだろう。そういう話だとこの娘たちは明日世界が滅ぶというシチュエーションでもわりと普段通りの生活してそうだ。間違いなく風呂には入る。


  • ジングルベルを歌うゆのは可愛かった。
  • ヒロさんを叱る吉野家先生。その後「厳しかったかな」と落ち込んだ様子を見せるとこまで含め株爆上げされてたな。
  • どう見ても正妻になれない夏目の恋の行く末はいくらか暗く悲しいものに見える気がするけど、これって『あずまんが大王』のかおりんに近い形なんだろうな。その憧れは実らないけど卒業後は良い想い出になるとか、たぶんそんな感じ。それに、沙英の一番がヒロでも関係ないんだろう。実らなくても良い恋愛はできる。
    • 当たり前のように「恋愛」として見てるが、いいのか?