2012年07〜09月期アニメ感想

 前期・今期あたりは思うところがあってちょっとでも気が乗らない作品は意図的に見ないようにした。序盤で切った作品も多い。
 たぶんこの記事で今期分は終わり。


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 振り返ってみると二期は作品の押しどころ変えて来てたね。あかりが普通に目立った動きしてるし、綾乃のダジャレが無くなって代わりにちなつの髪の毛や絵が天丼されてたし、上級生周りが中心だった百合描写も前期出番の少なかった一年生徒会コンビに託されていて全体的にカメラが下級生方向へと移動した感がある。上級生メインかと思われた修学旅行回ですら上級生は申し訳程度で下級生の描写が多かった。
 そういうわけでキャラの相関図に変化がないわりに新鮮に見れて楽しめてたんだけど、逆に考えるとカメラ動かさざるをえなかったわけで、この作品も結構大変だなーと思った。
 そもそも最近の作品には珍しくサザエさん時空だし、個々の関係性にも進展がない。つまり、変化がない。変わり映えしないお約束の良さというのもあるだろうけど、やっぱり物足らない。
 実際上級生周りってあんま面白くなくて、メガネ姉妹も綾乃もそれぞれのキャラ設定に乗っ取ってお約束の言動繰り返してるだけなんだよな。
 だからその対策として今回、


  一、前述のカメラ移動。主役の交代(あかり、一年生徒会コンビの出番増加。あかりとちなつの関係性描写の深化)
  二、新キャラ追加(あかね、大室姉妹、古谷妹)
  三、カップリングシャッフル(9話「何かありそうで何もなさそうな日」)


 ってのがあったのだと思う。カップリングシャッフルは一期でもやってたけど本命意外の組み合わせを描くのは本末転倒だから何度も使える手じゃない。新キャラ追加は作品延命の基本措置だけど特別この作品に限った話ではないからやっぱ特徴的だったのはカメラ移動かな。引っ掻き回し役だと思っていた京子が今回ほとんど目立った動きしてなくて、今期においてはむしろ京子が形だけの主役に思えた。これは本作がある意味ダブル主人公のような構造だったからこそあまり不自然にならずにできたシフトだろう。


 以下雑感。

  • ちなつがあかりの家に泊まる話が好み。ちなつとあかりの仲が良いのが本作で一番百合らしい百合(百合だとするならば)ではないのかと思う。生々しいってことじゃなく、男が読んでほっこりできるというか。メガネ姉妹や綾乃のように記号と設定だけじゃなく中身が描かれてる感じ。
    • 「夜九時には眠くなるお子ちゃまのあかり」と「それに付き合ってあげる面倒見の良い大人びたちなつ」という構図がホラービデオにより崩れ、「対等さ」が表現されていたところが良かった。どちらか一方が翻弄されるのではなく互いに驚かせたり驚かされたりとどっちもどっちな感じになることで良い友達感が出てる。対比するならアニマス特別編の弥生と伊織か(一部にしか通じない)。伊織はちょっと「面倒見のいいお姉さん」的な描きになりがちだよね。
  • 百合描写が記号的なのと、ギャグ自体が百合と無関係なのとで、もはや「百合もの」の印象はなく、「けいおん!」とかと同種の作品として見てる。一期の時はたしかもうちょっと百合百合しい作品なのかと身構えてた。それに一期だったらタイトルに流されて、今以上に「百合」って観点から語ろうとしてただろうなー。


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 この作品にはシリアス面での描きに期待してた。っていうのも設定的に感動させたり深い教訓を語ったりすることのできる器があると思ったから。
 だけど一話でテーマ語り「きっと幸せってね、人と分け合うものなんですよね」を言っちゃって以降そのまま何もなさそうなのと、市子のキャラがいまいち設定と噛み合っていないのとで期待した面白さは得られそうになく、また客観的にも設定を活かしきれていない少々こじんまりとしたギャグアニメになってしまっている印象。


 市子って他人から奪った幸福エナジーのおかげで恵まれてるって言われてるけど言葉通りに幸福なわけではないんだよね。ここでの幸福っていうのは金銭運に近い。
 これを喩えると、人々から不当に巻き上げた金で悠々自適に暮らしてる領主から義賊が金を取り戻す的な話だ。ただし力づくで奪い返すのは無理だから説得し、話し合いで平和的に解決する形になり、結果的には領主をも救うって筋。テーマは「金より大事なものがある」か。
 この設定だと市子って、もうちょい極端に悪い奴か精神的欠落のある歪んだ人間で、自分が幸福だと信じて疑っていない守銭奴であるべきだと思うんだけど、実際には「特に金に執着もみせず自分が満たされていないことを自覚していて意地張って強がって悪ぶってるけど本当は素直になれないだけの良い奴」になっちゃってる。たぶん作者は市子を悪い奴にしたくないのだろう。
 でもそれって、市子も本心ではほとんど貧乏神が正しいとわかっていて、わかった上で素直になれないから嫌だ嫌だ言い続けているだけってことじゃん。ていうか実際そんな感じで、あとはきっかけだけ。で、きっかけは来るんだけど、その度にその場その場でエナジー渡してるだけで、恒久的な心情変化がない。いま以上に改心するとなると作品が終わってしまうので変化しようがない。
 それよりは、悪人や本当に性根から歪んでる人間が少しずつ変化していくって方が面白かったのではないかと思う。市子って少年漫画の初期の敵役(あとで仲間になる)くらい悪く描かれていてもいいキャラのはずだ。悪い主人公が改心しつつも代わりのものを手に入れ徐々に本物の幸福を手に入れていくっていう、そんなのが見たかったかなー。


 あと、ちゃんと他人の幸福を奪っていることが実感できる演出やエピソードとか、普段から幸福エナジーの恩恵を受けながら生活していて市子には手放せないものになってるってところや、幸福エナジーを失ったことによる影響を描いて欲しかった。
 一つ目がないと、「周りの人達を不幸にしてしまう」っていう本作のキーポイントが視聴者的には「たまたま運の悪いことが起きただけ」に見えてしまって乗れないし、市子がタチの悪い占い師に騙されてるようにすら映る。
 二つ目がないと、市子が幸福エナジーを頑なに手放そうとしない理由が弱くなる。市子が幸福エナジーの効力で喜んでる描写がないここも感情移入しにくい。
 三つ目がないと、等価交換にならない。たとえば大事な奴を救えたのならその分だけ貧しくなる。だけど市子は納得している、ってならないとテーマにも合わないんじゃないのか。


 と、ここまで書いたものの、「市子悪人じゃない問題」に関しては反論の余地がないでもない。
 つまり、「なぜ薄々貧乏神の言うことが正しく、言う通りにすべきだと思っているにもかかわらず素直になれないのか」に対する納得度の高いアンサーがあればいいわけだが、
 「幸福エナジーを渡すと貧乏神が仕事を終え帰ってしまうから」というのはどうだろう。
 貧乏神は友達を欲していた市子にとって、対等に、等身大のままでまともに相対してくれた初めての相手のはずで、実際憎からず思っているのは一目瞭然。『第12話「いつか名前で呼んで」』においてオリジナル貧乏神を求めていたのはピュア貧乏神と反りが合わないからではなく、友達になりたいと思っていたオリ貧と中途半端な形で別れることになってしまったからではないか。
 ……そういう展開になるんならそれはそれでありかな、とか思わんでもないかもしれない。けど、最終話みると原因は過去のトラウマらしい。たしかに「貧乏神が正しいとわかっていてなお否定する理由」のアンサーにはなりうるんだろうけど……うーん。



  • 声優さん達の生き生きとした演技は聞いてて楽しかった。一人がはっちゃけた演技すると周りもそれをやり易くなるもんだと思うけど、そうした効果で全体が良くなってるような印象受けたな。
  • なんかしらドロッとした白いものがかかったらすぐこんなこと考える奴がいるからスマプリ13話京都回でみゆきの顔にかかったソフトクリームは抹茶だったんだよ。って思ってたけど、あれは単に実際のお店で売られてるものらしい。

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 漫画ちょい見てた。そりゃおめーが適当に読んでるからだよって言われそうだけど一巻読んだだけだとキャラが立ってなくて、まったく把握できなかった。ただただなんかだべってる印象。
 俺は魔梨威さんがグループの主役的存在かと思ってたんだけど一コマ目から登場するのは木胡桃だし、全然目立ってないし、木胡桃のロリっぷりは絵で表現されてないし、声もないからピンと来ないし、名前も読めないから覚えられないし……。いや、マジで名前なんて呼ばなくて最初の高座にあるメクリ(芸人の名前書いてる紙)にしか書いてない上に振り仮名ないし、初めてキャラが相手を名前で呼ぶのが5話とかだし、初めて全キャラのフルネームが振り仮名つきで紹介されるのが8話とかだし、苦来がメンヘラなのも木胡桃が腹黒な描写もさも昔から描かれてたかのように唐突に出てくるし、メガネは暴力振るわないし手寅の幸運描写もないし、そもそも何人グループなのすらわかってなかったし……(マスクが急に出てくるから)。探り探りやってたか、キャラ立てる気なかったとしか思えない。
 それを思うと本作はアニメの利点がもろに出てたなー。ちゃんとキャラ固めた状態で始められるし、当て字の読みづらいキャラ名も音で覚えられる、髪の色と着物の色でキャラ区別できるし、個性は声でも表現できる! アニメって素晴らしい! アニメって素敵!


 で、そのアニメの独自展開であるところの街に繰り出すBパートが地味に良い効果生んでた。楽屋から出ない原作三本だと多分だれちゃってたと思うけど、これひとつ間に入れることでメリハリつくし。内容も、実際の街並や建物を歩いたり雑学紹介したり、私服姿でもキャラ立ててたりして楽しい。
 って思いながら見てて気づいたんだけど、これもうギャグでもなんでもねーな。ただのTV番組だよこれ。地域紹介番組みたいな。アド街ック天国みたいな。ただキャラが漫画的な掛け合いしつつ街中紹介する番組みたいになってる。いや、ちゃんと実際の通りや建物なんかも絵で描いてるし背景も使いまわしてないし、手抜きとか言いたいんじゃない。ただ、ギャグらしいギャグやんなくても普通に楽しく見れてるなーってことだ。もともと頭空っぽにしてぼーっと見れる作品を望んでる節があるから、Bパートだけの内容でも見てたかもしれないし、それで満足してたかもしれない。


  • ギャグはかなりテンポも良くて面白かったけど、ギャグが面白い作品なんてもう普通に充実してるからよっぽどずば抜けてるか個性的でないと書くことない。事例列挙こそないものの、わりといつもの久米田節。
    • と思ってたら最終回で列挙やりやがった。手寅主人公って言われてもピンと来なかったけど、このやり取り見てると『絶望先生』の風浦可符香ポジションだったので、まぁわからんでもないくらいにはなった。
  • 作画は久米田先生じゃないにもかかわらず一部の表情が久米田漫画。魔梨威さんが心の痛み止め飲んだ時とか。
  • キャラがよく動いてた気がする。OPのダンスはもっと見たかった。EDは軽く感動したなー。アニメ・漫画風にデフォルメされた「らしい動き」で女の子らしい動き(手首や肘が内側に入る感じ。OPも女の子走り)や落語っぽい動きとかが上手く表現されてたし、ちょっとずつ踊りがズレてるのも芸が細かい。
  • 苦来ってどっかで見たキャラデザだと思ってたけど最終回でようやく気付いた。


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 現代版異世界冒険もの。とでもいえばいいのかな? 最近この手の話が増えているのは聞き及んでいたのだけど、本作は視聴以前からたびたび名前を聞いていたので、そういった作品の代名詞的なものだと勝手に思っていた。そしてそれは間違いではなかったらしく、「なるほどベタだ」と感じた。というか、ラノベに必須ともいえる願望充足装置の構造がシンプルで、わかりやすい。
 願望を満たす異世界ものの、お約束だけで作られているかのような本作のポイントを順を追って見ていきたい。


 まず最初にあるのは『やりなおし願望』あるいは『逆転願望』だ。
 もう少し狭く絞ると、『現実世界では上手くいっていないけどゲーム内では充実している人たちの、「ゲームが現実ならいいのに」という願望を叶える装置』だろうか。とにかく現代社会において「何の役にも立たない」代表格であらせられるゲームの価値が上げられる。


日常から出発し、ゲーム世界へ旅立つ

 日常からスタートするのは純粋なファンタジーものにリアリティが感じにくい上、現実世界の主人公の方が親近感が持てるからだろう。主人公は現実世界の住人であることが望ましい。
 異世界の種類・行き方はさまざまだが、ゲームの仮想世界というのがもっともリアリティがある。

その世界から帰ってこれなくなる。その世界で死ねば本当に死ぬ。

 ここでゲーム内での価値がすべてになる。現実とのつながりがあれば「リアルマネートレード」のようなことも起こり得るが、完全隔離・閉鎖状況なのでそれがなくなり、現実世界での積み重ねや金などは意味をもたなくなる。異世界ファンタジーではないが、『カイジ』の星やペリカもこれと同じだ。
 ただ、いずれ帰ることが前提の話だとやはり現金取引は起こり得る*1ので本作を含み、現実でのステータスが完全に価値を持たなくなるとは言えない。
 しかし基本的には、全員が同じスタートラインに立つことになり、「人生のやり直し」が可能となる。
 そして、ゲーム内での死が現実の死であることでゲーム内での出来事がちゃんと泣いたり笑ったりできるドラマとして機能する。とは言えやはりゲームはゲーム。年上にタメ口聞いたり、大仰な言葉遣いしたりと現実ではやらないことやってるとツッコミどころにはなる。


ただし、顔は現実のものになる

 これは作品によって扱いが変わるところだろうが、本作の場合まず、「ネカマ」を排除して気持ちよく没入してもらうため。次に読者の投影対象である主人公が現実世界でヒロインと再会した際に拒否・落胆される恐れを拭っておくためだろう。すべて安心感のため。


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 こうして『逆転可能な舞台』が整った後は、お馴染の『俺TUEEE!』願望が満たされる展開になる。
 ここから先はサクセスストーリーである。

とりあえず強い

 どこでどうやってレベルを上げたのかは知らんけど、とりあえず強くなってる。優位なところといえばβテスト版を二か月20階層までプレイ済みだった点のみだが、とにかく強い。なんか番外編とかで補完されるのかもしれんけど。

有名美人プレイヤーと結婚

 芸能人やアイドルと結婚するみたいな。自慢できる相手。

自分しか使えない固有スキル

 主人公しか使えない状況にしたいけど、みんなの前でお披露目した後、取得条件を教えないのは不自然だから「どうやって満たしたのか自分でもわからない」としたのだろうけど、視聴者にだけは答えを提示して欲しかったな。完全な説明放棄だとさすがにご都合主義感が強すぎる。
 キリトが人知れず良いこと(イベントクリア)してて、いつのまにかスキル身についてんだけどキリト自身は意味わかってなくて、でも視聴者からすると「あぁ、あの時の……!」ってなるのが良かったのではないか。

クリア後もいろいろ引き継ぎ

 最近行きっぱなしで帰ってこない・来たまま帰らない系の話がアリになってきたと思うんだけど、本作だとさすがに帰らざるをえない。でもゲームで得たものは無駄になってない! 仲間もできたし奥さんもできた! やったね! おめでとう!
 とか思ってたらなんか剣術自体の腕も上がってたとか言い出して「おい、いい加減にしろ」と思った。おまけに新展開では「強くてニューゲーム」だよ。死語だとしても「どんだけー」言いたくなる。そこはほら、「ゲームで得たものはなくなってしまったけどそこでの経験と思い出だけは失われていない。だから俺はこの先も頑張れる! もう昔のままの俺じゃない!」みたいなさ、あ、無いですか、そうですか。


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 そんな感じで本作って、もろ願望充足型の作品なんだけど、この手の作品にありがちなご都合主義感がところどころに感じられていま一つ乗り切れないところはあった。
 あと気になったのは設定の煮詰めてなさかな。あの限りなく現実に近そうな世界の中で、どこまでがゲームでどこまでが現実なのかって境界がまったくわからないから納得しにくかったりワクワクできなかったりした。
 たとえば、「剣道やってたにもかかわらず変な構えで戦う理由」。ゲームシステム的にそうする必要があったのかどうかがわからない。現実世界でもあの構えで戦ってたところをみるとゲームシステムは無関係だったのだろうけど、「じゃあ何で?」と疑問は解決されない。それに「スキルを使うと動きを読まれるから」とか言ってたけど、どのくらい自由に戦闘できるのだろう。反射神経や動体視力などは元からの個人の資質に依存するのだろうか。とか、戦闘以外でもわからないことだらけだし……。
 これ本気でゲーム好きな人だと物足りないと思う。ストーリーに必要ない設定まで考えているくらいでちょうどいいと思うけど、原作はどうなんだろ。あるならおまけコーナー的なものででも説明欲しかった。


 あとは、もっと色々なことができそうなシチュエーションのわりにあんま何もなくて、世界が狭く感じられたこと。のんびりしてられない状況設定だったから仕方ないのだろうけど、ちょっと勿体ない気はした。「低層に引き返して主釣り」とか「レア肉手に入れて料理」とかああいうサブイベント的なものをもっと見たかった。
 あと、ヒロインに個性がないのも気になるし、そもそもほぼ全キャラに個性ない気もするし、いくら信用してる男とは言え娘の寝てる間に結婚させちゃう親もどうかと思うし、つか男友達が見舞いに来てる時点で彼氏の可能性を訝しめと思うし、だんだん見るのが辛くなってる。危ない。

*1:HUNTER×HUNTER』GI編におけるクリア後報酬の分配取引など