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トリコとNARUTO
 少年漫画を少年漫画らしく面白くする文法の一つに、『理屈を感情でひっくり返す、理屈に対して感情で勝つ』みたいなものがあるというのは誰もが知るところであり、11年22号のトリコ139話『ゼブラの条件!!』などは正にそんな話だった。それまで散々エネルギー残量をRPGのMP的に表現しておき、何か食べ物を食べないと技が使えませんよと念を押しておきながら、空のMPが怒りの力でMAXまで回復するという展開。これは実に少年漫画らしい熱さだと言える。それに、感情でひっくり返す理のラインとして良い線を突いている。怒りで敵を倒せちゃうと興醒めだけど、怒りでMPが回復するくらいなら全然アリだと思えるもんな。
 で、そんなトリコを見ていたら、最近の『NARUTO』における『守られるべき存在であるナルトが周りの制止を振り切り自ら敵陣へ突っ込んでいってしまう』というダメ展開は、そんな『理に勝つ感情』的文法のつもりで描かれたものなのではないかと思った。岸本先生は「お前だけは守らなければならない。この結界のなかで大人しくしていろ」「そんな理屈はどうだっていい、傷ついている仲間を放っておけない!」というこのやり取りが熱いと思っているのではないだろうか。俺としては「それ一番やっちゃダメェェェェ!」と叫びたくなる展開で気持ち悪いことこの上ないのだけど、子どもの頃だったら「うぉおお! 熱いぜ!」とか思って読んでたんだろうか(でもそれにしては忍連合側が健闘してる扱いになってるのがネックすぎると思う。主人公を遅れて到着させたいならもっとドラゴンボールみたいにした方が……)。
 また、そう考えると青年編になってナルトが成長してからも中身がちっとも成長していなかったことにも納得がいく。読者はナルトが全く精神的成長を遂げていないことに随分がっかりさせられたものだけど、ナルトは大人の理屈で動いちゃいけないってことなんだろう。


 少年漫画の熱さの一つに『理屈を感情で壊す』があるのは確かだ。でも岸本先生は壊しちゃいけない理屈を壊している。


エニグマ
 エニグマがダメだという話をよく見聞きする。一体何がダメなのかと意見を見渡すと、結局は「能力が後出しだから」というところに集約されるようだ。
つまり、「限られた能力で困難な難関をどう乗り越えるのか」という頭脳プレーが見たいのに、「危機的状況が訪れる⇒能力開花(あるいは告白)⇒能力を使い解決」という流れになっており、頭脳プレーを見たい読者が全員「ハァ?」と口をあんぐりさせる結果になっているということらしい。
 が、最初の頃ならいざ知らず、そんなパターンが全メンバー分繰り返されて来た今はもう、そんなこと言わなくていいんじゃんって思うのだがどうだろう? アニメ『GOSICK』においてミステリ部分がてんでなってないことを受け入れるように寛容な心で受け入れられないものだろうか。……でも『GOSICK』は「ヴィクトリカ可愛い」というプラスポイントがあるから(キャラ萌えアニメとしては見れるから)許されるんだろうな。
 何にせよ本作に関してはいつまで言ってんだよって思ってしまう。だいたい本作がこの手の作品が辿りがちなBADENDを回避させようとして描かれてる作品であることは最初から解ってたことだし、畢竟ぬるい展開にしかならないだろうこともまた最初から解ってたことじゃん。だから怒るほどの裏切りはなかったと思うんだけど……今怒ってる人は多分初期の期待値が高かった人なんだろうな。
 あ、もちろんそのヌルさダメさを許す許さないと面白い面白くない、楽しめる楽しめないは別で、俺だって本作が面白いとは思わない。


バクマン。
 未だに『バクマン。』のことを「漫画家や編集者及び出版社の人に知られざる実態を暴露する漫画」と見て、その視点で「この漫画全然ダメ」と言ってる人がいてビックリした。それが初期のフックの一つに過ぎないことは見てれば解ると思うんだけど……。それも、途中で読むのを止めた人が言うのならまだしも……。


新連載の表紙
 ジャンプでは新連載を飾る漫画がその週の表紙を担当する。その表紙、あるいは単行本第一巻の表紙がどれもこれもことごとく寂しく拙い……華やかさに欠ける気がするのは、まだ絵がそれほど上手くないという理由の他に、「キャラが少ない」という理由があるよな。アニメとか特にOPのラストカットでキャラ全員集合みたいな絵が来ること多いけど、そりゃあ第一話じゃそうやって多キャラ出しての華やか演出は無理だ。
 で、その所為かキャラの顔がでかい。バストアップ……多くないか?